9月22日 私の紙面批評 

朝日新聞2017年9月16日16面:東京大学教授 宇野重規さん 1967年生まれ。専門は政治思想史、政治哲学。著書に「<私>時代のデモクラシー」「民主主義のつくり方」など。
情報開示と説明責任 今後も粘り強く報じ続ける必要 朝日新聞は、森友学園への国有地売却と加計学園の獣医学部新設問題に関する一連の報道によって、日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞を受けた。問題のスクープ報道に始まり、その後の息の長い報道活動はたしかに評価に値するだろう。
これに対し、世には「北朝鮮情勢など緊迫する国際関係において問題にすることか」「特区における獣医学部の新設それ自体は適切ではないか」といった声も聞かれた。報道は都議選に影響を与え、政治的なインパクトを持ったものの、この問題に対する世間の注目は薄れがちである。絶えずこの問題を報じられることの意味を確認し続ける必要があるだろう。
この間には、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣している自衛隊の日報問題もあった。ある意味で、この時期に、政府による重要な政策決定過程においる公文書の所在が集中的に問題になったと言える。このことはけっして偶然ではなく、およそ民主主義と情報開示の問題について、真剣に問わなければならない。朝日新聞もまた、この問題を繰り返し強調してきたが、残念ながらまだ十分とは言えない。
この点で9月3日グローブの高橋友佳記者の記事は読み応えがあった。公文書の公開は、まさに民主主義の歴史と軸を一にしている。米国の国立公文書館には、憲法、独立宣言、権利章典の原本を含め、政府の公文書を膨大に蓄積し、公開してきた。すべての人が歴史の記録にアクセスできることが民主主義を支えるという信念の表れだ。
歴史を振り返れば、フランスで国立中央文書館の構想が生まれたのは、革命直後の1790年であった。今までの政府のあらゆる文書は王とその官僚の私物であったとすれば、これからは政策決定にかかわる文章は、すべて人民に公開されなければならない。さもなければ、民主主義とは有名無実になるだろう。問題の本質はここにある。
はたして、森友・家計問題、あるいは自衛隊の日報問題を通じ、政府の姿勢は民主主義の名にふさわしものであったか。「記憶にない」「記録がない」の連発は、この国の政治に対する巨大な挑戦ではなかったか。
7月8日の社説はこの問題を端的に指摘する。「要は公文書の範囲を極力狭くとらえ、政権にとって不都合なものは職員個人の責任に押しつけ、存在しなかったことにしようという話ではないか」。何を公文書とし、保存・公開するかを政府自体に決めさせれば、当然、自らに都合の悪いものはなかったことにする。そのためのチェックが備わっているかが重要であるが、現代日本の仕組みは心もとない。
オピニオン面「耕論」(7月19日)の3氏のコメントも良かった。法哲学者の井上達夫氏は「説明責任(答責性)」とは、「きちんと説明しないと責任を問われて首が飛ぶという緊張感ある概念」だという。ただ形だけ説明するのでは不十分で、まともな説明ができないければ政治家であれ、官僚であれ、その地位を失いかねない。この緊張感が現在の国会に見られるだろうか。
自治官僚、鳥取県知事を歴任した片山善博氏は、最近の官僚が「史料がありません」「でも、ちゃんとやっています」と堂々と言うようになったことを嘆く。公僕がほとんど説明になっていないことを躊躇なく口にするとすれば異常であろう。
さらにコラムニストの小田嶋隆氏は、「自信を持って説明できる状態で自分の職務に取り組む」ことの必要性を説く。あとで追及されて説明できないことはしてはいけない。この当たり前のことが当たり前にならないのが、残念ながら日本の現状である。
情報の公開にせよ、説明責任によせ、民主政治の根幹にあることが忘れられがちである。今後も粘り強く報道を続けていくことを期待している。(記事は東京本社発行の最終版)

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