9月21日 平成とは 20世紀のうちに「8」完

朝日新聞2018年9月14日夕刊14面:沖縄の思いは晴れず 沖縄サミットを沖縄はどう見たのか、照屋寛徳(73)に今年聞いた。米軍普天間飛行場がある衆院沖縄2区選出。首相の小渕恵三が沖縄開催を決めた頃は参院議員として基地問題を追及していた。1999年11月、普天間飛行場移設について、沖縄県知事の稲嶺恵一(84)が「民間と共用で15年限り」を条件に名護市辺野古への受け入れを決定。照屋は翌月、国会で小渕に「私は県内移設に反対の立場だが、使用期限15年は米国から確約が取れるか」と詰めた。
代わりに官房長官の青木幹雄(84)が「国際情勢は予測できない。約束は少し無理」と答弁。照屋は「知事提案に応えるのが政府の役割だ。そういう形で明治以来、沖縄はヤマトの犠牲にされてきた」と怒った。「何だ犠牲とは」ヤジが飛び、反論した。サミットはいいが基地問題はうやむや。照屋は質問を変える。
「総理、11月24日に戦後沖縄を代表する政治家、旧コザ市長の大山朝常さんが亡くなりました。『沖縄独立宣言』という遺言ともいうべき本をご一読願いたい」大山は95年の米兵による少女暴行事件を機に、戦前からヤマト(日本)の差別に悩み抜いた自伝を著し、97歳で世を去った。国会で小渕の後ろに控えていた首相秘書官、米村敏朗(67)はすぐ本を取り寄せ一晩で読んだ。「沖縄の慟哭」を感じ翌日、小渕に「ぜひお読みを」と渡した。そのことを米村から聞いた私が照屋に伝えると、「知らなかった。涙が出るほどうれしい」と喜んだ。
だが、辺野古移設は米国が使用期限を拒み、別に日米両政府で今の案を決めてしまう。照屋は言う。「平成の間に反憲法的な沖縄の現実は変わず、改憲の動きまで。ますますヤマトは遠くなる」小渕は「沖縄サミットで20世紀を総括し21世紀へ平和で豊かな国際社会のビジョンを打ち出す」と語ったが、急逝した。 =敬称略
(藤田直央)

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