9月2日てんでんこ 西日本豪雨「11」教訓の家

朝日新聞2018年8月28日3面:水が止まったのは、玄関先に敷かれた石の手前。「先祖の先見の明があった」。 「大変じゃ、ここまで来たか」「家族はどこにおる?」7月7日午前6時半ごろ、岡山県倉敷市真備町地区の自宅で目を覚ました小野克正(86)は、外のざわめきを耳にした。玄関を開け、目を疑った。眼下にあるはずの道や田が茶色の海に沈み、家々も1階まで泥水につかっている。眠りに就いてから朝までに、地区を東西に貫く小田川と3本の支流が8カ所で決壊し、街が水没していた。声の主は、高台へ逃げてきた人たちだった。。小野が暮らす「直戸」と呼ばれる集落は、浸水した家々のある場所より一段高い山裾にある。さらに家は3㍍近い石垣の上。水は半分くらいの高さまで来ていた。山裾に居を構え、石垣を築いたのは、4代前の高祖父の頃だ。元々は小田川近くの古森集落にいたが、繰り返し水害に遭い、「ここでは心配が絶えない」と、1900(明治33)年ごろ、移り住んだという。
この年の水害を「真備町史」(79年発行)は、こう伝える。「高梁川出水により小田川逆流、箭田古森前の樋の閉鎖不能となり、西郷全域は泥海となる」直戸集落には、小野の祖先のように低地から移ってきた家がある。その中でも、小野の家の石垣は堤防の高さに合わせたといわれ、ひときわ高い。「『そんなに水がくるわけがない。心配のしずぎだじゃ』と笑われた」。親戚からそう聞いていた。7日の朝以降、心配で表の様子を見に行くたびに、水は石垣を5㌢、10㌢と上がっていく。昼ごろには石垣を越え、その上の松に流れてきた木が引っかかる。ふもとの家では2階まで水が達し、住民は屋根に上っていた。
妻や先祖の位牌を息子たちと2階に運び、たんすや冷蔵庫をどうしようかと相談していた昼過ぎ、水がぴたりと止まった。ちょうど玄関先に敷かれた石の手前だった。「何度も水害に襲われた土地とはいえ、街が湖になるほど水がたまるわけはなかろうと、どこかで思っていた」と小野。「ご先祖さまには先見の明があった」。受け継いだ家が教訓そのものだった。(萩原千明)
◇ 市街地の大半が水中に没し、51人が死亡した真備町地区は、幾度も水害に見舞われていた。教訓を伝えた先人の足跡をたどる。

 

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