9月19日 寂聴 残された日々」

朝日新聞2018年9月13日28面:39二百十日に始まる 私の子供の頃、といっても、現在満九十六歳の私からでは、大方九十年も大昔のことになる。七歳の春を迎えた私は、家から子供の足で歩いて四分くらいに位置する徳島市の新町尋常小学校に入学した。眉山の山懐にある学校は平屋造りで、池のある中庭を教室が取り囲んでいる古風な造りであった。男女は別クラスだった。休み時間は一つしかない広い校庭で遊んだが、男の子と女の子がけんかすることもなかった。何もかも新しい経験で毎日がお祭りのような気分のうちに一学期が終わった。長い一カ月の夏休みは宿題に追われたが、それも楽しく、無事なしとげた上で、いよいよ明日から学校に行けると、はり切っていた。その晩、枕元に母が、かっおあと雨傘を置いた。私は目を丸くして、「どして?こんなものがいるん?」と訊いた。母は顔色もかえず、「明日は二百十日で、どうやら雨らしいよ」と言った。二百十日の説明をしてくれたが、私には理解出来なかった。毎年、その日はしけ(台風)になると母は言う。昨年も一昨年もしけだったと言う。私はさっぱり思い出せなかった。
そして翌朝、母の予言は適中して、目がさめたら、もう雨が降っていた。それからは毎年にように、新学期の九月一日前後に台風がやってきた。学校では授業が切りあげられ、生徒たちはそそくさと帰り支度をはじめ、早引けの用意をする。新学期に登校することの嬉しさは、毎年変わらなったが、その日、早引けになり、必ず授業は中止になる嬉しさは、声をあげたいくらいだった。大人になって、九月一日、二百十日などすっかり忘れていても、台風という声を聞くと、反射的に昔日の二百十日が思い出されてくるのだった。故郷の徳島は、気候温順で、梅雨に雨が降りこめるくらいで、冬も雪など殆ど見ることがなかった。今、思い返しても台風の被害で困りきった記憶もない。戦後の一時期は台風に外国女性の名前がつくようになった。キティ台風などは、珍しかったせいか、物忘れのひどくなった今でも覚えている。
台風はなぜか間夫のように夜なかにやってくる。昨今では情報過多なので、我々は、台風の来る前日あたりから、テレビでそれを予告されている。危険な時々、早々と避難勧告がある。最近、私もその声を二度ほど聞いたが、応じなかった。この執拗なわが生命は、この世に見苦しくしがみついている感じで、私の美意識に反することおびただしい。何とか、もういい加減にこの世におさらばできないものかと、真実思い悩んでいる。いつそれを洩らしたか、寂庵の若いスタッフが鬼の首でもとったように勢いづき、「あ、ついに夜ひとりでいるのが、こわくなったわけですね。私たちが毎晩、一人ずつ泊まってあげますから安心して、それにしても少し書斎を片づけたら・・」という。とんでもない。実はもう、眠れない夜の間に、会心の辞世の句も出来てるんだから。ああ、教えてやらないとも。テレビがまた、北海道の新しい地震を伝えている。 ◇作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんによるエッセーです。

 

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