9月13日 平成とは 20世紀のうちに「3」

朝日新聞2018年9月7日夕刊14面:日韓、変わりかけたが 小渕恵三は1999年3月に韓国を訪れる。首相として初めて日韓両首脳の共同文章で植民地支配への「反省とおわび」を表明した翌年のことだ。大統領の金大中と会談するだけでなく、韓国の雰囲気を肌で感じようとした。滞在3日間の隙間に「街の様子を見たい。ぶらぶらしよう」とソウルの繁華街へ。「小渕さんだ」と人だかりができ、子連れの夫婦に頼まれて一緒に写真を撮った。大学での講演では韓国語であいさつした後、「2002年の日韓共催サッカーW杯を機に交流拡大を」と語って沸かせた。
同行した内閣外政審議室長・登誠一郎は共同文章作りのつばぜり合いを思い出し「日韓関係が変わったなあ」と感じた。この時の金大中との会談で、金は歴史問題に触れなかった。小渕は韓国が望む在日韓国人への地方参政権付与を「真剣に検討したい」と述べ、後に公明党が連立政権に加わる際の合意に入れる。
小渕の訪韓には別の意味もあった。首相秘書官で後に警視総監となる米村敏朗(67)は、街を動く車中から沿道に掲げられた日韓の国旗を見つめていた。整然と続く日の丸を小渕も見て、「これなら陛下の訪問も大丈夫じゃないか」と問うてきた。「大丈夫じゃないですか」と答えた。だが、和解への動きは翌年に小渕が急逝すると滞る。21世紀に入って竹島問題も再燃し、15年末には外相会談で「慰安婦問題の不可逆的解決を確認する」としながらも互いの批判が続く。
合意はあっても、それを支える互いの立場への理解と信頼が弱まっているからだろう。小渕と金の間には、それがあった。天皇訪韓は実現しないまま平成が終わりそうだ。やはり歴史と領土をめぐりトゲが残る中国とは今年、平和友好条約を結んで40年になる。その半分の「20年」の節目に国家主席として来日した江沢民もまた、小渕との逸話を残した。 (藤田直央)

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