8日てんでんこ 皇室と震災Ⅱ【2】

朝日新聞2017年7月6日3面:避難所訪問は当日昼、愛知県庁で昼食中になっと話しがついて実現した。 1959年10月4日。当時の皇太子明仁さまは、東海地方に猛威をふるった伊勢湾台風の被災地視察のため、名古屋市を訪れた。復旧作業で忙しい地元に迷惑をかけないように、随員は皇太子家を支える東宮大夫のほか侍従、侍医、事務官、護衛が1人ずつ。ふだんの地方訪問の半分以下の人数だった。
皇太子さまは愛知県庁貴賓室に入り、「このたびの台風により非常に大きな被害をこうむり、とくにおびただしい犠牲者を出したことはまことに同情にたえない」とする天皇陛下らのお見舞いの言葉を桑原幹根知事に伝えた。そして自身の見舞金を渡した。当時中部日本新聞(のちの中日新聞)社会部長だった宮岸栄次氏のルポや新聞記事などによると、皇太子さまはこのとき「まだ消息のわかっていない(人がいる)ところはありますか」「千拓地が使えるまでにはずいぶんかかりますか」などと尋ねたが、侍従が質問を途中で止めたという。
この後は自衛隊ヘリで上空から被災地を視察する予定だったが、雨のため中止となり、岸信介首相が随行し、車で陸路、岐阜市に向かった。岐阜県庁では松野幸泰知事から説明を受けると、皇太子さまは「耕地がやられたら米は減収になりますかね」「水は全然引きませんか」と尋ね、「被災者はこれから寒くなるから大変でしょうね」と感想を語り、予定時間を超えて話を聞き続けた。
名古屋へ戻る途中の午後4時半ごろ、皇太子さまは希望して岐阜県鵜沼町(現各務原市)で車を降り、そこにいた女子小学生2人に「家はどうなったの」と声をかけた。2人が無言でつぶれた家を指すと「大変だね。いまどこにいるの。気を落とさないでがんばってね」と励ました。
このあと、宿泊先に近い名古屋市中区の名城小学校分校(現・名古屋市御園小学校)を訪れる。分校には、沿岸の同市港区で家が水につかった小中学校の児童生徒139人が、集団で都心に避難していた。避難所訪問は、地元側が「被災者の気持ちが落ち着いていない」と辞退していたが、宮内庁側が「天皇陛下のお考えを皇太子さまが果たすためには、被災地視察よりもむしろお見舞いに重点を置きたい」と重ねて要望し、当日昼、愛知県庁での昼食中にやっと訪問の話がついて実現したものだった。(北野隆一)

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