8月7日 原発ゼロをたどって8

朝日新聞2018年8月2日夕刊2面:「国民的議論」をもう一度 従来の原発・エネルギー政策は事実上、経済産業省の手の内で決まっていた。が、原発事故を受けて当時の民主党政権は、広く民意を聞いた。それが2012年夏の「国民的議論」だ。まず、政策の見直しのために国家戦略相を議長とする省庁横断の「エネルギー・環境会議」を立ち上げ、その事務を国家戦略室に担わせた。そうして12年6月、30年の原発比率として「0%」「15%」「20~25%」の選択肢を提示、それを「国民的議論」にかけたのだった。
具体的には、全国11カ所で意見聴取会を開催。討論を通じて意見がどう変わったかを見る「討論型世論調査」も導入。広く意見を求める「パブリックコメント」では、集まった約8万9千件の中身を丁寧に分析した。報道機関の世論調査なども把握した。今年4月、市民団体「脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会(eシフト)」などが開いた集会。6年前、国家戦略室の担当者として携わった伊原智人(50)が、「国民的議論」の結果をこう表現した。「少なくとも過半の国民は、原発に依存しない社会を望んでいる」- 伊原は事故の時は民間企業にいたが、元は経産官僚で電力に詳しく、民主党政権幹部の誘いに応じて霞が関に戻った。伊原によれば、「国民的議論」は「できる限りやる」との姿勢で臨んだ、という。
これを受け、当時の国家戦略相・古川元久(52)は12年8月22日、伊原らスタッフ数人に具体的な戦略を描くように求めた。示したA4の紙には「40年廃炉の徹底」「新増設しない」など「原発ゼロ」への大方針が並んでいた。現在、国民民主党幹事長の古川は振り返る。「オープンな『国民的議論』で、過半の人が『ゼロ』にしたいとの思いが示された。だから、政治の意見で大枠をしっかり示さないといけないと考えた」
指示を受けた伊原らは急ピッチで作業を進め、「30年代原発ゼロ」を明記した「革新的エネルギー・環境戦略」の案をとりまとめる。「戦略の『ゼロ』は、『国民的議論』がベースで整合性がとれていました」と井原。
だが、12年暮れの総選挙で自民党が圧勝、安倍政権が誕生すると国家戦略室は廃止され、伊原は退官。「30年代原発ゼロ」も白紙にされた。今年4月のeシフトなどの集会。司会役の環境NGO「FOEジャパン」の吉田明子(37)が「当時はいろいろあった」と言うと伊原は苦笑いしつつ、「だいぶ、いじめられました」。12年当時、民意を聞く努力が、なお足りないと批判されたからだ。吉田は返した。「誠意をもって社会的合意を探る取り組みは、いま改めて評価できるかと思います」時を経て民意は変わっただろうか。伊原は言う。「また同じような『国民的議論』をしていいかもしれません。国民の意向を踏まえてエネルギー政策を決めると言うなら、その意向は正しく把握するべきです」で、安倍政権はどうか。次の最終回で考える。 =敬称略 (小森敦司)

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