8月28日 平成とは 天安門事件「1」

朝日新聞2018年8月24日12面:李鵬氏来日、訃報届く 昭和天皇逝去から3カ月余。新天皇の「平成外交」が始まった。中国の李鵬首相(89)が来日、天皇会見と昼食会が1989年4月13日に行われた。前年に竹下登首相が訪中した答礼の形だった。朝日新聞(4月12日付)は「政府は、(中略)李鵬首相の来日が、ちょうど『平成』の幕開け期に当たることもあり、新天皇のもとでの『平成外交』を本格的にスタートさせる機会にしたい、との意向を持っている」と、竹下政権の前のめりの姿勢を伝えた。李鵬の説明では、新天皇は両国の良好で長い交流に触れた後に「近代において不幸な歴史があったことに遺憾の意を表します」と語ったという(4月15日付)。
李鵬は15日、岡山県倉敷市の昼食会の席で改革派指導者、胡耀邦・前中国共産党総書記の急死の報に接する。73歳の早すぎる死が、民主化を求める学生や市民多数が命を落とす6月4日の天安門事件につながる。李鵬は自らが民主化運動を力でねじ伏せ、避難を浴びるとは思いもよらなかったろう。
私は88年から90年まで北京支局に勤務した。89年の年明け以来の動きには、何かしら波乱の感じさせるものがあった。1月には反体制派物理学者の方励之が、最高実力者の鄧小平にあてた公開書簡を発表。78~79年に民主化を掲げた「北京の春」運動で逮捕された魏京生(68)の釈放を求めた。これに呼応して、2~3月には文芸界、科学界、若手知識人らが相次いで連名の書簡で政治犯の釈放を求めた。
こうした動きに胡耀邦の死が重なる。大衆の支持を得ていた悲劇の指導者への追悼の輪が広まり、学生は民主と自由を求め、役人の不正な金もうけを糾弾した。だが、李鵬ら党指導部は運動を「動乱」と断じて戒厳令を布告。6月3日深夜から戒厳部隊が武力鎮圧に踏み切った。「血の弾圧」に至った天安門事件での体験を報告する。
=敬称略 (元北京支局員・田村宏嗣)

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