8月18日 平成とは 始まりの日々「6」

朝日新聞2018年8月13日夕刊10面:大使、昭和と共に去る 昭和の終わりに、日米関係を象徴する人物がいた。マンスフィールド駐在大使である。米上院院内総務を務めた大物を大使に任命したのは、民主党のカーター大統領だった。共和党のレーガン政権下でも職務を続けた。「日米関係ほど重要な二国間関係はない」が口癖だった。
その大使が11年の任務を終えて、離日することになった。1988年12月13日、離任のあいさつで竹下登首相を国会に訪ねた。政治部の若手だった私は、その場に居合わせたが、むしろ印象に残っているのは、国会の廊下で二階堂進・元自民党副総裁が大使に言葉をかけた場面である。「ユー・アー・ファーザー・オブ・ザ・ジャパニーズ・ピープル(あなたは日本国民の父だ)!」慈父としての米国というのが、二階堂氏ら親米保守派によくある米国観なのだろうか。当時すでに85歳だった大使の返答は鮮やかだった。「来るときもあれば、去るときもあります」
それから12年後、ワシントンの彼の事務所で私はマンスフィールド氏と向かい合っていた。日米関係の主要な人物にインタビューする企画を担当し、面会を申し込んだのだった。「コーヒーはいかが」と聞かれて、「お願いします」と答えたら、本人がカップを運んできたのに仰天した。
日本にいるときに、女性がお茶くみさせられているのを見て、始めた習慣だという。自身がお茶を出す姿勢を示すことで、日本の女性たちの立場を少しでも好転させたいという意図があったらしい。インタビューの最後に、97歳になっていた元大使は語った。「私が生きてきたのはシンプルな世界だったが、未来はもっと複雑で私はそのスピードについていけないだろう。世界はひとつになる。みんな全体の一部なのです」1年後に死去した彼の言葉は、やがて来る時代の本質を突いていた。(編集委員・三浦俊章)

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