8月13日 平成とは 始まりの日々「3」

朝日新聞2018年8月8日夕刊8面:改元へ、保秘は徹底 昭和天皇が逝去した日は、まず「危篤」が発表された。首相官邸の「総理番」だった私は、頭の中がくらくらした。「危篤」とはどのくらい深刻なのか。きょうが「Xデー」なのか。あの1989年1月7日の朝を取材メモを手がかりに再現する。
午前7時過ぎだった。首相官邸の廊下で、日頃よく取材をしていた官邸幹部から「朝飯を食べに行こうか」と声をかけられた。もしものときは、欠かせない役割を担っている人だった。その人が朝食に誘うくらいなら、まだ危篤的段階ではないのだろうと、すこし安心した。車で近くのホテルに向かった。
和食のレストランで、メニューから七草がゆを注文した。正月も取材するような日々の中で、季節を感じたわずかな時間だった。だが、その間に事態は急展開していた。帰りの車の中で、そのニュースがラジオで流れた。宮内庁では藤森昭一長官が、首相官邸では小渕恵三官房長長官が、同時に記者会見した。
「天皇陛下には、本日午前6時33分、皇居において崩御されました。誠に哀痛の情に堪えません」(小渕長官) 発表時刻は、午前7時55分。逝去から1時間22分がたっていた。戻ってみると、官邸はたいへんな騒ぎだった。職員も記者も、ゼインマイ仕掛けの人形のとうに動き回っている。前年88年9月19日に昭和天皇が吐血して以来、あすにでも「Xデー」が来るかも知れないと、備えが重ねられていた。それが一斉に動き出した。
最大のテーマは元号である。昭和の次の元号は何か。過去には「大正」は朝日新聞がスクープし、「昭和」の際には毎日新聞の元号誤報事件があった。保秘は徹底していた。有識者による「元号に関する懇談会」が午後1時から始まったが、会場につながる階段は官邸職員が見張り、記者はまったく近づけなかった。(編集委員・三浦俊章)

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る