8月11日 平成とは 始まりの日々「1」

朝日新聞2018年8月6日夕刊6面:「総理番」の1月7日 新聞は時代の秒針と言われてきた。刻一刻と動く歴史の目撃者としてその最初の記録をつくることが、記者の仕事だ。平成という時代を刻んだ大事件や、政治・経済・社会の節目を、取材メモなどから再構築する。最初のシリーズは、昭和が終わった日に首相官邸を担当していた政治記者が、平成の始まりを振り返る。
昔の取材資料を詰め込んだ箱を開けてみたら、カセットテープが出てきた。ケースには黒のサインペンで「昭和最後の日」とある。1989年1月7日、昭和天皇が逝去し、新しい元号が平成と決まった日の音声記録である。当時私は政治部に配属されて8カ月目。首相官邸にある記者クラブの若手記者として、竹下登首相の動向をカバーする「総理番」を担っていた。総理番は複数で毎日輪番で回していた。だが、この歴史的な日は、首相番は複数で毎日輪番で回していた。だが、この歴史的な日は、首相番は実質的に総掛かりとなった。
私は自分が出た当日の会見とインタビュー一切合切を録音し、そのまま保存していた。そのテープを29年ぶりに聞いてみた。今のICレコーダーの明瞭な音声に慣れた耳には、不鮮明で聴きづらく、雑音も多い。テープは午前6時50分、皇居・吹上御所に天皇を見舞った首相が官邸に到着し、記者団に囲まれた場面から始まる。
シャッター音と怒号が響く。「しゃがめよ」「寄るなよ」ややあって、「ここでお願いします」という記者の声が入る。一同静まった。首相の声は低く小さい。かろうじて聞き取れるくらいだ。「きょう6時16分自宅を出た直後、ご拝謁をたまわるようにとの連絡が車にありまして、吹上御所に参りました」この日は午前6時35分に天皇の「危篤」が発表されていた。天皇の病状はどうだったのか。記者の関心はその一点に集中していた。
(編集委員・三浦俊章)

 

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