8月1日 トトロの森への道(埼玉県、東京都)

朝日新聞2018年7月28日be6面:ふるさとの緑守るシンボル 埼玉県所沢市の西武球場前駅からドーム球場を背にして歩く。しばらくすると、住宅地のそばに小高い丘が見えてきた。コナラやクヌギの雑木林は明るく、見通しがよい。下草刈りなど、人が手をかけているのだ。整備された道を親子連れやグループが散歩し、休日を楽しんでいた。東京の都心から北西へ約35㌔。所沢市を含む埼玉県と東京都の5市1町に広がる狭山丘陵(約3500㌶)。その中にある雑木林に海外からも人が訪ねるのは、ここが「トトロの森1号地」だからだ。
トトロは宮崎駿監督(77)のアニメ映画「となりのトトロ」に出てくるミミズクにようでクマのようでもある物の怪の名。宮崎さんが日本の美しい風景を描こうと考えたこの作品の舞台になったのは、武蔵野の面影を残す里山だった。「子どものころから見てきた風景そのものだった」と話すのは、地元の狭山丘陵でナショナルトラスト運動に取り組む「トトロのふるさと基金」(所沢市、安藤聡彦理事長)の専務理事、荻野豊さん(70)だ。1989年にテレビで「となりのトトロ」を見て、そう思った。
1千種超の植物、2千種以上の昆虫、オオタカなど鳥類200種が今もみられる狭山丘陵だが、戦後間もないころからレジャー施設や住宅団地が建設され、里山は資材置き場や建設残土の捨て場所などに変わっていった。小規模宅地の開発は止まらず、目の前の風景はどんどんすさみ、ゴミの不法投棄で汚された。
当時、埼玉県野鳥の会役員だった荻野さんは「荒されていくばかりで嘆いていた」という。環境破壊を止めるには仲間とともに立ち上がり、寄付金を募って土地を買い取るナショナルトラスト方式を選択するしかないと思い詰めた。自ら地主となって環境を守る最終手段に出るのだ。そのためにも映画に描かれた狭山丘陵を「トトロの森」と呼んで、ふるさとの緑が危機にあることを全国に訴えたい。荻野さんは思い切って、所沢市内の宮崎さん宅に電話をかけた。「『所沢の自然』という写真集をつくる所沢市の委員会でご一緒した宮崎朱美さんに相談したら、夫の駿さんが電話口に出てこられた。『トトロの名前を使わせてほしい』とお願いすると、ずぐに認めていただけた。ありがたかった」90年にトトロのふるさと基金委員会(今の基金)が発足。寄付金は順調に集まり、91年に初めて取得した1号地は都市近郊型ナショナルトラスト運動のシンボルとなった。
トトロの森は宮崎アニメの「聖地」とも受け止められた。宮崎さんは「となりのトトロ」の構想を自宅近くの雑木林を散策しながら練ったとされ、狭山丘陵の風景が作品に織り込まれた。60年代の終わりに、家族で同市へ引っ越してきた宮崎さんは、今年5月に刊行された『トトロの生まれたところ』(岩波書店)のインタビューで、映画のイメージの源について「ディテールが生まれたのは、やっぱり所沢に住んでからです」と話した。1号地に成田空港から外国人ファンが直接やってくるのもうなずける。同じインタビューで宮崎さんは、「雑木林のなかをウロウロするようになってから(略)”誰かがいるような感じ”というのを知ったのです。(略)小さな雑木林ですけど、何かあるんですよ。(略)来るなと言っているのを感じるときもありますよ」とも語った。森に抱く畏れが「となりのトトロ」や「もののけ姫」などの作品の出発点になり、壊されていく武蔵野の風景への愛惜がナショナルトラスト運動への共感、支援につながったのではないか。今回、宮崎さんへの取材はできなかったが、たぶん、そうだ。
市民が汗をかきつないだ40年 春はカタクリやイチリンソウが可憐な花を咲かせ、夏は湿地にホタルが舞う。谷戸の水田で稲穂が実る秋。冬には狭山湖や多摩湖に渡り鳥が羽を休めにくる。丘陵の豊かな恵みを慈しんで慈きた人々が衝撃を受けたのは1979年だった。狭山湖のすぐ近くへの早稲田大新キャンパス進出計画。約38㌶の大規模開発だ。市民グループが連携し、大学や埼玉県などと対峙して計画を阻止しようと試みたが、84年に着工、87年にオープンした。県は周辺を保全すると表明したものの、規制の及ばない開発が虫食いのように進んだ。「このままではダメだ。何かしなければ」。ナショナルトラスト運動の礎になったのは、約10年間、闘ってきた仲間のそんな熱い思いだった。
先月10日、西武・小手指駅前(所沢市)に約10人の男女が集まった。トトロのふるさと基金事務局長、北浦恵美さん(52)の道案内で、新しいトトロの森を紹介するイベントだ。車が多い道では事務局員の牛込左江子さん(34)が、さりげなく参加者の安全を確認していた。同駅から約700㍍の43号地前で、北浦さんは「以前から開発圧力が高いところ。近くの所沢西高校の野外学習の場としても活用が期待され、保全する意義は高い」と説明した。土地を取得すると、動植物に詳しいボランティアが管理方針を検討。その後、約140人が登録するボランティアグループ「トトロの森で何かし隊」が現場に入る。東京都東村山市の17号地では今月1日、事務局員の横山伸夫さん(32)ら男女約20人が炎天下、伸びた竹をのこぎりで切ったり、鎌で草を刈ったりした。
ある男性は「汗をかいて体重は1.2㌔減り、ビールを飲んだら元に戻る」と笑う。主婦や会社員、学生らの地道な活動が運動の柱だ。「多くの人が手を携えてはじめて達成できることを日々実感している」というのは事務局員の花澤美恵さん(45)。基金のイベントでボランティアリーダーを務める所沢市内の高校教諭、小暮岳実さん(40)は「子育てを始めて、この環境が実は稀有なものだと気づいた。里山の景観を守る教育の場をつくってほしい」と、基金が地域に果たす多様な役割に期待する。
基金を設立すると、全国から寄付金が次々に届いたことを荻野さんたちは忘れない。「とくに子どもたちから『トトロの森を守って』といった手紙とともにお小遣いの一部を寄付してもらい、感激しました」。寄付金総額は9億円を超え、責任は重大だ。都市近郊で地価は高く、基地造成計画など開発がやまない。厳しい条件下でも基金は粘り強く、行政や開発事業者と対話を続け、「敵対」から「隣人」の関係を築くよう努めた。計48カ所に増えたトトロの森は、地権者が無償で寄付した土地5カ所を含む。先祖から受け継いだ大切な地所を託されたのは基金が信頼されたからだ。埼玉県の施設「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」(所沢市)の指定管理者にも選ばれ、地域での存在感も増している。2020年、基金は発足30年を迎える。荻野さんは「若い力が育ってきた。狭山丘陵を残すためにどこまでできるか。広く地域のあり方を議論し、基金がどう関わるか考えたい」と話す。約40年前に始まった市民運動は、この地にしたたかに息づいている。 文・冨田悦央  写真・迫和義

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