7月8日 落語家・桂歌丸さんを悼む

朝日新聞2018年7月4日27面:落語プロデューサー京須偕充さん 円朝もの歯切れ良く復活 1950年代の落語界は新作と古典が拮抗していました。60年代以降は古典に収斂されていくなか、新作をしていた桂歌丸さんはうまく乗り換えました。機を見るに敏だっただけじゃなく、もともと古典をやりたい気持ちが強かったんじゃないでしょうか。先輩の三遊亭円生や八代目林家正蔵の後、少し途絶えていた三遊亭朝ものを切り開きました。人情噺は芸術志向になりがちなんですが、歌丸さんは声が少し高く、区調が明るいから湿っぽくない。歯切れの良さゆえに、より幅広い客にアピールできたのでしょう。「真景累ケ淵」のような怪談では感情移入をし過ぎず、あっさりしている。昭和初期のような謡い調子も、声の明るさや間の良さが古めかしさを感じさせない。
要領が良く、長編の噺でも矛盾した点を隠すなど整理して語るのでわかりやすい。この点は円生や正蔵といった大先輩を貫いているのではないでしょうか。芸に対する体力は信じられません。酸素吸入器を着けていても大きな声が出る。高座を降りると肩で息をしていました。気力が体力を補うことを見せてくれました。今年の春に電話したときは「二十四孝」をきちんとやり直したいんだ、と言っていました。先輩のテープなど資料を集めていたようです。人名が多く「名前が出てくるか自信がない」と気にしていました。完璧じゃないとやらない人だったんでしょうね。
落語芸術協会の会長としては若手の抜擢がなく、優等生過ぎる気もしました。高座で自分の素性を「女郎屋の若旦那」と言える特殊な存在でした。どこから来たのかわからない謎の人物といった独特な雰囲気はこの人が最後かもしれません。(聞き手・井上秀樹)
2日に81歳で亡くなった落語家の桂歌丸さんは、テレビでは長寿演芸番組「笑点」の主要メンバー、高座では長編人情噺をはじめとする古典落語の語り手、という二つの顔があった。付き合いの深かった2人のプロデューサーの噺から、人柄や芸を振り返る。
「笑点」プロデューサー飯田達哉さん 笑いのうねり応酬で作る 桂歌丸さんはまさに「笑点」の「顔」で、象徴でした。開始の1966年から大喜利レギュラーで出演。私は82年から番組に携わっていますが、歌丸さんは回答者の時、キレがよく、大抵、真っ先に手を挙げて模範的な答えをして、皆を引っ張っていました。視聴者の心をつかむことにもたけていましたね。2000年に、座布団10枚で歌丸さんが写真集の出版権を得たのに出版社に断られ、司会の五代目三遊亭円楽さんの自腹で女装の写真集を作りました。楽しそうに、ノッていましたね。妻の富士子さんのこともよく番組で話題にして、想像をかきたてていました。
笑点50周年を機に「卒業」する16年までの10年間、5代目の司会者を務めました。モダンでテンポのよい司会ぶりで、視聴率も良かったです。歌丸さんは大喜利メンバーの中に入り込み、融合を図っていました。回答者でずっといたいという気持ちで司会をやっていたのではないでしょうか。六代目円楽さんに「骸骨」「ジジイ」などと言われても受け流したり、座布団を全部もって行くように指示したり。応酬で笑いのうねりを見事に作っていました。座布団の使い方も実に上手でしたね。笑いのプロフェショナルで「早口にならないように」「分かりやすく」とよくおっしゃっていた。どうしたら視聴者にうまく伝えれられるか、いつも苦慮していましたね。国民的な人気の秘密は、あのおじいちゃんぽい風貌やたたずまいでしょう。都会に出てきた人が、「田舎にあんなおじいちゃんいたな」と懐かしく思うような存在でした。歌丸さんが亡くなり、残念ですが、これからもそばにいて見守ってくれる気がします。(聞き手・山根由起子)

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