7月6日 白球の世紀120

朝日新聞2018年7月2日夕刊8面:アボット投手がお手本 農具の裁断機に巻き込まれるけがで右ひじから先を失った板垣政之(42)は1988(昭和63)年に地元の中学に入学。野球部に入部を希望するが、グラブで捕球できないことを理由に断られた。ちょうどその頃、米国で活躍する隻腕投手ジム・アボットを知った。
米の大学野球で名をはせたアボット投手は、大谷翔平が現在所属する米大リーグ・エンゼルスに1位指名で入団、89年にメジャーデビューした。「衝撃だった。アボット投手のようにグラブを使えば野球ができるんだと」。板垣はアボット投手をまねた。右腕にグラブをはさんで壁に向かって投球。すぐさまグラブを左手にはめ、はね返ってきたボールを捕った。それを毎日繰り返した。中学入学から半年後、野球部への入部が許された。投手を務めたが、よく打たれた。「今に見ていろ」。甲子園を夢見て、91年に強豪の日大山形に進んだ。アボット投手に憧れた球児は全国にいた。当時の朝日新聞記事によると、90年には右手首を失った愛媛県の選手、92年には左手首を切断した福岡県の選手、93年には生まれた時から左手首から先が不自由な兵庫県の選手がグランドを駆けた。
板垣が入った日大山形は、中学時代に野球で活躍した選手ばかり。当時の監督、渋谷良弥(71)は「来る者を拒まず、去る者は追わず」の姿勢。投手希望の板垣は、皆と同じ厳しい練習をこなした。腕立ては左腕で耐え、腕回りは50㌢近くになった。制球力を買われ、試合に起用されることもあった。板垣が高校2年の92年に開かれた第74回全国高校野球選手権大会。ラッキーゾーンが撤去された初の大会で、星稜(石川)の4番松井秀喜が明徳義塾(高知)から5連続敬遠される試合があった。試合中に客席からメガホンが投げ込まれ、一時中断。議論を呼んだ。その大会に日大山形も出場。アルプススタンドで応援した板垣は「来年は絶対にここで投げる」と誓った。(五十嵐聖士郎)

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