7月4日 甲子園ベストゲーム47 鹿児島

朝日新聞2108年6月29日22面:15回ただ楽しくて 相手は優勝候補 恐れも何もないバックを信じて 試合が進むにつれて鹿児島実のエース定岡正二は、不思議な感覚に包まれていた。東海大相模(神奈川)との準々決勝。「疲れも恐れも何もない。楽しくて仕方がない。今で言うゾーンに入っだんでしょうね。その後、プロ野球に入ってもああいう感覚はないです」 184㌢の長身を生かして真上から投げ込む。持ち球は直球とカーブ。後に定岡の代名詞になるスライダーを覚えたのは、巨人に入ってからだ。大会前、さほど注目されなかった右腕だが、初戦(2回戦)の佼成学園(西東京)と3回戦の高岡商(北陸)を完封する。2試合とも1-0の薄氷の勝利だ。「僕もたいしたもんですね。チームは打てなかったけれど、守備が非常に洗練されていたから信頼していました」。大会1週間前の調整期間でさえ、36歳の青年監督久保克之は1千本ノックの雨を降らせた。投手力を中心とした守備重視、攻撃ではバント重視。それが今にもつながる鹿実の野球だ。
対する東海大相模は打撃のチーム。この大会の9年前に三池工(福岡)を率いて初出場優勝を飾った原貢が監督で、長男辰徳が1年生で5番を打っていた。「全員が金属バットのグリップエンドいっぱいに持って振ってくる。1年の辰徳でさえ」と定岡は驚く。金属バットの使用が認められたのはこの大会からだった。「錦江湾に浮かぶ小舟が巨大戦艦に向かったようなもの」。定岡は優勝候補との戦いを、桜島を抱く故郷の海を引き合いに言った。一回、その原辰徳との対戦を迎える。2死二、三塁。原はそれまでの2試合でいずれも2安打1打点と好調だった。「とはいえ、1年生ですからね。どれほどのもんじゃ、という気持ちがありましたよ」。ところが2ストライクからの3球目、外角の直球を中前に運ばれ、2点を許す。
自ら同点打 増した制球力ナイターも力に すかさず鹿児島実は二回に定岡の左中間二塁打で同点とし、2番溝田誠道の二塁打で逆転する。「ここで点を取られなかったら7-1とかで負けていたんじゃないかな。自分が打ったから根拠のない自信がわいてきて、がっぷり四つくらいにはいけるんじゃないかと」そこから、だ。外角への直球とカーブが面白いように決まりだし、八回まで10奪三振。実に八つが見逃しだった。「変な欲もなく、力も入っていないから思い通りにいったんでしょうね」。九回に勝利まであと1人までいきながら同点に追いつかれるという思いも強かった」。十二回の守りでは2死二塁から二塁手の中村孝が背後にふらふらっと上がった打球をダイビングキャッチ。サヨナラ負けを免れた。十四回にも両チームが1点ずつ。時計は午後時7を回っていた。「ナイターというのも初めてでうれしかった。ずっと炎天下で投げてへばっていたので、力もわいてきた」。十五回、押し出しの四球でみたびリードを奪う。ついに、定岡が打者をこの日10個目の三振に切る。213球目。外角の直球。見逃し。「ビデオを見たけれど捕手の構えたところに糸を引くような素晴らしい球でした。この試合を象徴するような」
控えめにガッツポーズをした後、定岡の記憶に残っているのはスタンドの観客の様子だった。「いろんなファンが涙なのか、汗なのか、雨なのか、顔をぐちゃくちゃにネットの方へ来るんですよ。ああ、人ってこんなに喜べるんだ。そのことにすごく感動しました」巨人の長嶋茂雄は、この試合のテレビ中継を練習の合間に見ていたと、後年のインタビューで明かしている。定岡はその年の秋、ドラフトで長嶋監督の巨人から1位指名を受ける。「人生の礎になった試合ですね」。定岡はそう振り返る。
続いた2強時代 悲願のVいまだ 5月27日に鹿児島市の鴨池市民球場で開幕した、NHK旗争奪県選抜大会の始球式に、かつてライバル監督の姿があった。樟南(旧鹿児島商工)の枦山智博(74)が投手を、鹿児島実の久保克之(80)が打者を務めた。この2人が率いた両校の2強時代が長く続いた。夏の甲子園へは、70回大会(1988年)以降、樟南が13回、鹿児島実が9回出場。監督に就任したのは久保が67年、枦山が72年。久保は鹿児島商や鹿児島玉龍の打倒をめざし、その鹿児島実を倒すために枦山は戦った。久保は言う。「枦山さんは、まるで闘牛のように飛びかかってくる感じでした」。枦山は「久保監督がおって、私も育ったんだと思う」。枦山が率いた樟南は76回大会(94年)で福岡真一郎ー田村恵(元広島)のバッテリーを軸に佐賀商との決勝へ進んだ。同点の九回、佐賀商の主将西原正勝に満塁本塁打を浴びて散った。「欲を言えばきりがないけど、あのちび軍団がよく戦ったと思う」と枦山は振り返る。
2年後の選抜では鹿児島実が初優勝を飾る。こちらも下窪陽介(元横浜)ー林大希の息の合ったバッテリーが光った。鹿児島実は夏の80回大会(98年)1回戦で杉内俊哉(巨人)が八戸工大一(青森)をノーヒットノーランに抑えたもの、2回戦で松坂大輔(中日)を擁する横浜(神奈川)に敗れる。「杉内のカーブをね、地面をこするような大法で打たれました。かなり研究されていた」。甲子園での最後になった。
久保は2002年に監督を退き、その引退慰労会で出席していた枦山に向かって「(夏の)深紅の大優勝旗をもって帰るのは枦山さんの務め」と後を託した。しかし、悲願の優勝はいまだに成し遂げられていない。「私も久保さんがいなくなって気が抜けたところがありまして」と枦山は苦笑する。枦山も10年に退く。鹿児島実出身では本多雄一(ソフトバンク)、樟南出身では鶴岡慎也(日本ハム)、前田大和(DeNA、登録名・大和)らがプロ野球で活躍する。
最近では神村学園の台頭が目立つ。05年に初出場し77回選抜でいきなり準優勝。夏も4回出場。夏では鹿児島工が88回大会(06年)で初出場ながら、昨年日本ハムを引退した榎下陽大らを中心に4強入り。準決勝では優勝した早稲田実の斎藤祐樹(日本ハム)の前に涙をのんだ。当時の監督の中迫俊明は、川内でも木佐貫洋(元日本ハム)を擁して80回鹿児島大会で準優勝。現在は同行に復帰している。広島で活躍する松山竜平は鹿児島中央、体調を崩してソフトバンクを退団した川崎宗則は鹿児島工出身。 敬称略 (堀川貴弘)

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る