7月28日 見届ける最高の試合

朝日新聞2018年7月24日30面:審判・実況 縁の下から ③支えられて 高校野球の熱戦の数々は、多くの人たちに支えられてきた。審判委員は1915(大正4)年の第1回大会、球審と塁審2人、さらに陪審が置かれていた。現在は4人制もしくはナイター時に線審を含めた6人制だ。100回大会を担当する審判員で最年長の一人が樫田外司昭さん(56)だ。79年8月、星稜(石川)ー箕島(和歌山)で延長十八回を投げ抜いた星稜の元エース。「もう一度グラウンドを見ておきなさい」。敗戦後に水野元玄さん(82)に声をかけられて渡されたボールは今も宝物だ。高校卒業後、社会人野球の選手・マネジャーを経て、審判の道へ。2003年から甲子園球場のグラウンドに立つ。
「つい赤信号で道を渡ろうと思ったとして、誰がどこで見ているか分からない。『審判なのに』と思われないように」。もらったボールを目にするたび、自らを律して生きていかなければならないと思う。「箕島戦に負けたが、私には『最高試合』だった。球児たちにもそれぞれの『最高試合』をしてもらいたいし、その積み重ねができるようにしていくことが私の役割」現在は審判講習会で全国各地を巡り、手伝ってくれる球児たちに声をかける。「将来、審判になるのはどう? 大人になっても甲子園、目指せるで」
彩った「植草節」 試合の様子をラジオで聴いたりテレビで見たりする人も多い。国内初となるスポーツ実況中継は1928(昭和2)年8月、第13回大会で始まったラジオ。グラウンドのプレーに彩りを添え、名シーンを人々の記憶に刻んできた。朝日放送の元アナウンサー、植草貞夫さん(85)。昭和最後の夏となった88年まで決勝の実況を28度務めた。85年決勝のPL学園(大阪)ー宇部商(山口)での「甲子園は清原のためにあるのか」は今でも語りぐさだ。92年夏、松井秀樹(星稜)の5打席連続敬遠を放送席で見届けた。「松井の打撃を実況するのを楽しみにしていました。でも解説者が『勝負してほしい』というようなことを言っていたし、投手も勝負したいだろうなと感じていたので」。様々に思いを巡らせ、「勝負しません」と冷静に繰り返した。
名勝負を語る言葉の数々は「植草節」と評された。いインターネットがない時代、新聞でデータを集めて資料を作った。「小学生でもわかるように難しい言葉は使っていない。回りくどくせず、ズバッとね」
 甲子園の土また 甲子園は24(大正13)年に完成した。ひと夏で球児たちが持ち帰る土の量は1㌧を超す。球場の整備を担当するのは、阪神園芸のグラウンドキーパーだ。水はけの良い内野の黒土、四季を通じて美しい外野の天然芝。天候を見ながらの手入れにシーズンオフはない。
十数人の専属スタッフに今春、新人の柴田凌さん(20)が加わった。竜谷大平安(京都)の三塁コーチとして選抜大会に出場。選手としてプレーを続けようと思っていたが、野球に関わる仕事に就きたいと考えるように。「いつまでもグラウンドに立てる」とこの道を選んだ。「グラウンド整備は選手のプレーに直結するし、選手生命にも関わる大事な仕事」。ベース周辺やマウンドは経験を積まなければ任せてもらえない。グラウンドの状態に応じて先輩がどう動くのか、目を配る。球児たちが全力で甲子園を駆け抜ける日々がもうすぐやってくる。グラウンドキーパーになって「野球の見方が大きく変わった」と言う柴田さんも、「初出場」の夏に臨む。(辻健治)

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