7月21日 白球の世紀130

朝日新聞2018年7月17日夕刊8面:諦めない姿勢見せた 東日本大震災があった2011年、第93回全国高校野球選手権大会に公立の古川工が宮城代表として初出場した。古川工がある大崎市は3月の地震で約1万2千棟の住宅が被害にあった。練習場が地割れし、部員らは半月間、リヤカーを引いて近隣のがれき撤去を手伝った。
4カ月後の宮城大会。古川工は準々決勝を6-5、準決勝を3-1で勝ち上がり、決勝は利府を3-1で破って77校の頂点に立つた。監督の間橋康生(47)は「震災で野球ができる幸せを感じたのだろう。負けを恐れなくなり、エラーしても三振しても余裕があった」と語る。甲子園入りした古川工は、全国のマスコミから取材攻勢にあった。被災地代表として甲子園に臨む心境はー。毎日のように同じ質問を投げかけられた主将の今野晴貴(25)は「津波を受けた沿岸部と比べれば自分たちの被害は小さく、被害地代表との言葉に戸惑いを感じていた」と打ち明ける。唐津商(佐賀)との1回戦は初回に浮足立ち、3四死球と2失策などで7失点。打線も三回まで6者連続三振。「注目を浴びているうちに無安打では終われない」と、今野が四回にチーム初安打を放って反撃を始めた。
1番打者の畠修也(24)は「宮城大会で戦ったチームからもらった千羽鶴がアルプススタンドに見えた」。何度もスライディングをしてユニホームを真っ黒にし、諦めない姿勢を見せた。しかし、試合は序盤の失点が響いて、4-9で敗れた。今野は「津波にあった気仙沼の人たちがテレビの前で応援してくれたんだと思えた」。遊撃手の只埜達郎(24)も「元気をもらったと言ってもられて、うれしかった」と振り返る。
今年の古川工主将、菅原舜太(18)は「被災地の代表校となった先輩たちの諦めない思いがテレビを通して伝わった」ことを覚えている。今月15日、後輩たちは宮城大会初戦をコールド発進した。(五十嵐聖士郎)

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