7月2日 甲子園ベストゲーム47 福井

朝日新聞2018年6月26日23面:あいつに勝ちたい 中3の夏 投げ負けた記憶 甲子園で再戦 23年が経った今も、内藤剛志はあの日の朝の情景を鮮明に覚えていた。「朝一番で誰もいないスタンドを見ながら、今日で高校野球生活は終わりかな、なんてしみじみと考えていた。でも開場と同時にアルプスに応援団が入ってきて、やらないかんって。この試合負けるわけにはいかないんだって」1995年8月18日の第1試合。敦賀気比は優勝候補の柳川との3回戦に臨んだ。エースの内藤はある特別な思いを抱えていた。3年前の「リベンジ」だ。中学3年のボーイズリーグ全国大会初戦。内藤は相手チームの花田真人と投げ合った。「速いピッチャーだなという印象だった」。1-4で敗れ、中学最後の夏が終わった。それから3年。花田との交流はなかった。ただ柳川のエースの名前を耳にして記憶がよみがえった。また同じ男に敗れて最後の夏を終えるわけにはいなかい。「やり返してやろうという気持ちだった」午前8時半プレーボール。
内藤の調子は悪かった。「負けちゃいかんという気持ちが気負いに変わった」。初回、思わぬアクシデントが襲う。右足がつったのだ。何度も屈伸をしたが痛みは消えなかった。得意のカーブは思うように曲がらず、九回まで一つも三振を奪えなかった。それでも低めの制球を心がけて内野ゴロの山を築いた。対する花田は140㌔台の直球とスライダーを効果的に交え、淡々と投げ続けた。「球質、ストレート、スライダー…。中3の時よりもはるかにレベルアップしていた」と内藤。緊迫した投手戦となった。この試合、内藤自らのバットでけりをつけるチャンスがった。九回2死満塁で打席へ。「サヨナラ満塁ホームランをイメージした」。エース対エース。野球漫画のような展開に嫌でも力が入った。結果はどん詰まりの遊飛。「自分の甘い考えで延長に入ってしまった。絶対に1点もやれないと思った」。内藤のギアが上がる。十回に初めて三振を奪うと十二回には3者連続三振を奪った。
無心で振った腕2人の406球 通じ合った気が 炎天下のマウンド。もちろん疲れはあった。味方の攻撃中は氷水で頭を冷やし、キャッチボールもしなかった。「十八回まで投げる覚悟だった」。無心で右腕を振った。そして十五回、決着の時を迎える。無死一、二塁から嶋村誠司が右前安打。柳川の好守で二塁走者が本塁タッチアウトになったが、好機は続く。そして1死一、三塁。飯田雅司が右犠飛を放った。選手たちは一斉にサヨナラの走者に駆け寄った。内藤の足は動かなかった。「力が残っていなくて何とか付いていった。そして花田に投げ勝った。三つの喜びがこみ上げてきた」
試合後のあいさつで花田に声をかけられた。「がんばれよ」「おー」。短い言葉。でも互いに通じ合った気がした。内藤213球、花田193球。球史に残る2人の熱闘だった。実はライバル物語には2度目の対戦があった。もう甲子園の激闘から4年後。内藤が進んだ駒沢大と、花田の中央大が大学4年秋、東都大学リーグで対戦した。先発した花田は十回途中までマウンドを守った。そして内藤は九回途中から救援した。少しの間だけ神宮球場のスコアボードに記された「内藤」「花田」の並び。内藤の後輩が言った。「どこかで見た光景ですね」。試合は駒沢大が制した。
その後、花田はヤクルトで10年間活躍した。一方、内藤は社会人で野球を続けた。「もう1回、花田と対戦したかった」。プロへは進めず、願いはかなわなかった。ただ内藤の野球人生を振り返る上で花田は切っても切れない特別な存在。あの夏の投げ合いは脳裏にしっかりと刻まれている。
福井商に黄金期 敦賀気比が台頭 福井には「絶対王者」がいた。春夏通算39回の甲子園出場を誇る福井商だ。平成が始まったころ、福井商は黄金期を迎えた。1989(平成元)年夏、福井大会で4連覇を果たすと、翌春には8季連続の甲子園出場を達成した。県内で語り継がれている大記録もある。84~2003年、夏の福井大会で成し遂げた20年連続の決勝進出だ。県高野連理事長の田辺浩之は「当時、他校はやられっぱなしだった。直接対決ではなかなか勝てなかった」。
この勝負強いチームを作り上げたのは北野尚文だ。1968年に監督に就任すると、選手には厳しい練習を課した。冬場はグランドを使えない代わりに、本格的な筋力トレーニングに取り組んだ。ユニホームのエエンブレムから「炎の福商」と呼ばれた。78年の選準優勝以降は全国の舞台で苦しんだが、78回大会(96年)に県勢の夏の甲子園最高成績に並ぶ4強に入った。92回大会(2010年)を最後に勇退するまで甲子園出場は歴代2位の36回。通算31勝を挙げた。横山竜士=元広島=や天谷宗一郎=広島=、中村悠平=ヤクルト=ら多くのプロ選手が輩出した。長く続いた福井商一強の勢力図を変えたのが敦賀気比だ。1990年初頭、京都府のボーイズ出身者を中心に強化。76回大会(94年)に甲子園初出場を果たすと、翌77回大会(95年)はエース内藤剛志、飯田雅司=元ロッテ=らを擁し、ベスト4に進んだ。79回大会(97年)でも8強。東出輝裕=元広島=や内海哲也=巨人=も巣立った。
その後、一時は低迷したが、OBの東哲平が2008年にコーチ、11年に監督に就任すると、強打のチームを作り上げる。96回大会(14年)で4強入りすると、翌春は平沼翔太=日本ハム=を擁して北陸勢初の甲子園優勝。全国でも名を知られる強豪となった。近年ではフルスイングが代名詞となった吉田正尚=オックス=や、西川龍馬=広島=がプロに羽ばたいた。現在、この敦賀気比と競うのが福井工大福井だ。社会人野球の監督として実績を積んだ大須賀康浩が02年に監督に就任すると、春夏7度の甲子園へ。大須賀は昨年退任。新体制で真価が問われる。さらに98回大会(16年)は北陸が24年ぶりに、99回大会(17年)は坂井が初めて甲子園に出場。田辺は「戦力差が縮まり、全体のレベルが上がった」と実感する。その上で全国を勝ち抜くにはあと一歩が足りないという。「打撃は戦えるが、連戦を勝ち抜く投手力をつけたチームが出てこないと夏の深紅の大優勝旗を持ち帰るのは難しい」。ベスト4の壁を打ち破り、全国制覇を果たすチームは現れるか。
(岩佐友)  敬称略。

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