7月18日 白球の世紀129

朝日新聞2018年7月13日夕刊12面:3.11練習の後ろめたさ 2011年3月11日午後2時46分。東日本を強く長く揺れが襲った。この年の夏の甲子園に初出場する宮城県大崎市の古川工の練習場では、部員らが翌日の練習試合を控えて練習を早めに切り上げたところだった。練習場が地割れし、ナイター設備が大きく傾いた。部員らは帰り道、徐々に被害の大きさを知る。最寄りの駅に自転車で向かう途中、川の堤防が崩れ、トラックが横転していた。駅に着いたももの列車は走っておらず、電話もつながらない。遊撃手だった只埜達郎(24)は列車を諦め、1時間かけて自転車で自宅に帰った。家の中はあらゆる物が床に落ち、只埜はこの日、避難所で夜を過ごした。
内陸部の大崎市から離れた沿岸部を津波が襲ったこと、多くの人が犠牲になったことは翌日以降に知った。部員らはそれから約半月の間、練習場周辺の住宅のがれき撤去などを手伝った。主将だった今野晴貴(25)は「夜遅くまで練習でうるさいくしていたので、こういう時こそ役に立とうと思った」
4月に入り練習を再開して間もなく、春の県大会と春季東北地区大会の中止が決まった。県高野連加盟79校のうち、14校が活動を停止していた。古川工は、震災直前の前年秋の県大会で準決勝まで進んだ。初の甲子園への道が見え始めていたが、周囲では多くの被災者が嘆き苦しんでいた。今野は練習帰り、姿をみられないよう人目を避けた。「夏の大会が開かれるのか心配だったが、それよりも練習をしていいのか、後ろめたい気持ちが強かった」
監督の間橋康生(47)は大崎市内の自宅が被災し、家族は古川工の柔剣道場でしばらく避難生活を送った。「野球をできることは当たり前ではない。それを身をもって知ったと思う」震災を経験し、間橋の心境にも変化があった。「目標にしていた甲子園が小さく見え、甲子園出場に縛られなくなった」77校が参加する夏の宮城大会で、古川工は小差の試合をものにしていく。(五十嵐聖士郎)

 

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