7月16日 白球の世紀128

朝日新聞2018年7月12日夕刊12面:野球ができるだけで 1995(平成5)年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。犠牲者は6400人を超え、負傷者は約4万4千人。建物約25万棟が全半壊した。約2カ月後に開かれた春の選抜大会は鳴り物の応援は控えられた。被災地の兵庫からは育英と神港学園、報徳学園の私立3校が出場した。
夏の第77回全国高校野球選手権の兵庫大会は、その並み居る強豪校ではなく、公立の尼崎北が初優勝を決めた。自身も被災した監督の植田茂樹(54)は「何かに導かれているようだった。前年秋の県大会で8強入りしたが、血眼で甲子園を目指そうという思いは消え、野球ができるだけでうれしかった」。
毎週のように練習を見に来ていた近所の年配男性が、震災から間もなく亡くなったと聞かされた。被害の大きいい神戸市内を経由して練習試合に向かう際、「こんな時に野球ですか」と声をかけれる一方、「頑張れよ」と後押しされた。兵庫大会では7試合中5試合が逆転勝利。ただ、優勝を決めた直後、「被災地代表」の期待がのしかかった。植田は「インタビューで『被災地の方々にひと言』と求められ、そのとき様々な人の思いを背負った」と言う。甲子園での初戦。尼崎北の宿舎は甚大な被害があった神戸市東灘区にあり、震災の爪痕が残る街を駅まで歩き、電車で阪神甲子園球場に向かった。
主将の有田隆行(40)は「夢の舞台に立ち、観客の多さと震災による注目で緊張した」。青森山田を相手に四回までに6点を奪ったが、追い上げられる。九回裏2死から3連打で1点差を追いつかれると、延長十三回サヨナラで負けた。試合で尼崎北は8失策したが、出場した10人が全員安打した。「震災を通して、仲間のミスをみんあでカバーするという助け合いの精神が生まれていた」。あの夏を、植田も有田も同じように振り返った。2011年、東日本大震災。この夏、被災地の宮城からもある公立高校が初出場した。 (五十嵐聖士郎)

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