7月11日 白球の世紀124

朝日新聞2018年7月6日夕刊9面:ストライクが入らない 1998(平成10)年の第80回全国高校野球選手権記念大会の青森大会でで、122-0の七回コールド試合があった。青森ではこれが契機となり、翌年からココールドの適用を七回以降から五回以降とした。一方、この年の甲子園では、横浜(東神奈川)のエース松坂大輔が準々決勝のPL学園(南大阪)戦で延長17回、250球を投げる壮絶な試合があった。こうした出来事を受けて、日本高野連は99年12月、地方大会でのコールド規定を五回10点差、七回7点差以上に統一。また延長戦の回数制限を18回から15回に変更することを決めた。
122点差の試合は当時、大きく報道され、富山県氷見市の高校1年生だった栗崇行(35)は「ラグビーの試合みたい」と思った記憶がある。翌99年、富山大会記録となる52-3の大量得点試合で、栗自身が敗れることになるとは思いもしなかった。栗は小学生の頃から野球を続けていたが、厳しい練習や規律を重じる雰囲気を窮屈に感じ、中学生になると足が遠のいた。98年に市内の有磯高校に入学。野球部が、少ない人数ながら伸び伸びと楽しそうにプレーしている姿を見て、1年の途中で入部して投手を務めた。99年、2年になった栗は初めて夏の大会に出場する。初戦の相手は前年秋とその年の春の県大会で優勝した高岡商。有磯は選手14人だけの野球部だったが、栗の心は高ぶった。「『なかなかやるな』と思わせよう」。根拠のない自信を抱いていた。
7月18日、富山県高岡市の球場には、優勝候補とされた高岡商の初戦とあって多くのファンが来ていた。初回、エースの栗がマウンドに登る。高岡商の先頭打者が「お願いします」と気迫あふれる声を出し打席に入った。その瞬間、調子が狂った。「甲子園を目標に真剣に努力してきた相手に対し、自分に投げる資格があるのか。頭が真っ白になった」。投げても投げてもストライクが入らず、客席からヤジが飛んだ。逃げ出したくなった。(五十嵐聖士郎)

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