7月11日 サザエさんをさがして

朝日新聞2018年7月7日be3面:七夕 笹と短冊、なぜ定番? 磯野家は七夕の笹飾りをよく作る。掲載作は56年前。フネが「なくなった」と言った川開きの花火大会は今の隅田川花火大会。交通事情の悪化で、この年から16年後の復活まで中断された。それはさておこう。7月7日は、結婚した途端に怠け者になったとして、天帝の怒りを買い、天の川を隔てて引き離された織女と牽牛が年に1度会える日。願い事を書いた短冊をこよりで笹につるし、こと座のベガ(織姫星)とわし座のアルタイ(彦星)の1等星に願いを託す七夕である。笹や色紙の用意も制作も手間がかかったものだが、今ではずっと便利になった。大阪市中央区の紙製品会社「ササガワ」は毎年使えるポリエステル繊維の笹や越前和紙の短冊、様々な飾りを七夕用にセットで販売している。創業は1894年。5代目社長の笹川敦司さん(36)は「七夕の『笹』とご縁があるのかな」と感じる。同社では、70年代には家庭向けが中心だった七夕商品の売り上げが少子化で減少。使い終えた笹飾りが川に流され、ごみ問題にんったもの響いたという。磯野家のように家族ぐるみで笹飾りを作る時代は遠のき、スーパーや介護施設の催しでの需要が増えている。
笹と短冊は七夕の必須アイテム。磯野家にもこの小道具に疑問を抱く人はいないが、百人一首研究で知られる同志社女子大学の吉海直人教授(65)は「七夕は複雑怪奇。後に組み込まれて主流になったのが笹と短冊なんです」。和歌に見える年中行事の歴史を調べ、時代背景を探ってきた。かさぎの渡せる橋におく霜のしろさぎを見れば夜ぞふけにける 百人一首の第6歌。七夕のカササギが天の川に翼を広げて橋として、織女と牽牛が会えるようにしたという中国の伝説にちなむ。
吉海さんによると、織女と牽牛の初出は紀元前の中国の詩集『詩経』とされ、後に悲恋の要素が加わる。7月7日に手芸の上達を願う中国の年中行事「乞巧奠」と混同されて日本に伝わり、平安貴族が技芸の上達を祈るようになった。そこに豊作を祈る日本の儀礼「棚幡」が導入され、「たなばた」に。江戸時代前期の地詩で、江戸中の子どもたちが短冊を七夕に奉るという記述が出てくる。
「端午の節句のこいのぼりやひな祭りの3月3日の固定化も、この時代。徳川家が年中行事を変容させたと言ってもよく、それが庶民に浸透していったと思います」京都市の同志社女子大学のキャンパスの西に、百人一首の選者、藤原定家の流れをくむ冷泉家がある。現在する最古の公家住宅で、歌道の家柄だ。宮中行事だった乞巧奠を旧暦では秋である7月7日に営み、和歌を星に供えてきた。25代当主で京都美術工芸大学長の冷泉為人さん(74)は「七夕の秋の季節感は日本の美しい初秋のそれです」。ちなみに冷泉家では乞巧奠を「きっこうてん」と濁らずに読む。祭壇の両側には神のよりしろとの説もある笹を1本ずつ立てて、梶の葉と五色の糸をつるす。「歌を書いた梶の葉が短冊にあるのでしょう」かつてこんな歌が供えられた。天川と渡る船の彦星のしけき想ひを誰かしるらむ 冷泉家に婿養子で入った為人さんが和歌の上達を願いながらも、伝統文化の保持を担う覚悟を詠んだ。それは、他人には推し量れない思いだという。(辻岡大助)

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