7月10日 甲子園ベストゲーム47 神奈川

朝日新聞2018年7月6日21面:再試合 覚悟してた リード守れぬ松坂PLは強かった決着つかないだろう それは歴史に残り、歴史を変える熱戦となった。「あの試合はほかの試合とは比べられない特別な試合ですね」あの夏から20年たった今も、横浜のエース松坂大輔(現中日)はそう振り返る。1998年夏の第80回記念大会。東西の横綱は準々決勝で激突した。両校は同年春の第70回記念選抜大会の準決勝でも対戦。横浜が3-2で逆転勝ちし、そのまま優勝を果たした。
夏の再戦もPL学園に先手をとられた。二回に一挙3失点。松坂が先取点を許すも、1イニングに2点以上失うのも、この大会初めてのことだった。「マツ(松坂)は朝が弱かった」とチームメートは口をそろえる。午前8時半の試合開始に合わせ、「たしか4時起き。なかなか寝付けず、2時間ほどしか眠っていない。宿舎から球場に向かうバスで寝てしまい、体が重くてしょうがなかった」と本人も打ち明ける。PL学園の主将で三塁コーチをしていた平石洋介(現楽天監督代行)が、捕手の動きから松坂の球種を読み取り、打者にかけ声で伝達していたという裏話しもあった。
しかし、王者もすぐに反撃を開始し、5-5で延長へ。「平成の怪物」こと松坂も、次第にエンジンがかかっていった。それなのに十一回、十六回に奪ったリードを守ることができなかった。「PLは本当に強かった。ぼくは途中から決着はつかないだろうと思っていた。十三回ぐらいから、再試合のことを考えていた」
この試合が決着した直後のインタビューで、松坂は「明日の準決勝は投げません」と明言した。ぼくは渡辺元智監督を取材しながら松坂の声も聞こえる場所にいた。「監督、松坂君が明日は投げたくないと言っていますが」と質問すると、「そうですか。本人が言うなら投げないんでしょう」とムッとしたと記憶している。「渡辺監督が大会前に、4連投はさせないと言っていたからなんですが、覚えていなかったのかな? とにかく疲れていた。スイッチが切れたというか」。笑って懐かしむ松坂だが、「もしPLと再試合になっていたら自分が投げた」と言い切る。「監督にどうするかと聞かれたら、迷わずいきますと答えましたね」
十七回、常盤の決勝弾 泣いてないよでも、こみ上げた いつ終わるともしれない戦いはしかし、十七回に突然、決着の時を迎えた。横浜は敵失で2死一塁。途中出場の常盤良太が直後の初球をとらえた。右中間席に飛び込む決勝2ラン。三塁ベンチ前でキャッチボールをしていた松坂は「逆光で打球が見えなかったけど、観客の反応で本塁打と分かった」という。「泣いてたよな」と今も仲がいい常盤にからかわれると「泣いていないよ」と笑って答えるが、「ゾワッとしたというか。それぐらい思いがこみ上げてきたのは事実」と認めている。
その裏を松坂が3人で抑えて、3時間37分の熱戦に終止符を打った。最後の打者から三振を奪った瞬間、松坂は両腕をダラリと下ろし、大きく息を吐いた。予告通りに先発を回避した準決勝は明徳義塾(高知)に6点差をつけられながらも大逆転勝ちし、決勝は京都成章を相手に無安打無得点試合を達成。春夏連覇に花を添えた。幾多のドラマが生まれた記念大会を代表する名勝負が、延長十七回の熱闘だ。「プロ入り後も重圧がかかる試合は経験したけど、いまだに、あれ以上に苦しい試合はありません」渡辺監督は後日、「私も選手も十四回あたりから異常な精神状態になった。選手に後遺症が残らないか心配だった」と語った。この発言がきっかけとなり、日本高野連は2年後から、延長の回数制限を十八回から十五回に短縮する。そして20年後の今年、延長タイブレーク制が導入された。
「短期間に球数を多く投げる負担は大きいですからね。ぼくはたまたま大きな故障につながらなかったけど。準決勝の日もチャッチボールしながら、全然投げられると思っていましたから」「平成の怪物」は、こともなげに言うのである。
全国制覇した2強プロ輩出 戦後1949年の第31回大会で初出場優勝した湘南から、60年代に春夏連覇を果たした法政二の黄金期を経て、70年に東海大相模、71年に桐蔭学園が全国制覇。「神奈川を制するものは全国を制す」と言われた。80年代は横浜、横浜商がしのぎを削り、90年代には横浜が全盛期を迎える。中でもピークが松坂大輔=中日=を擁した98年。「平成の怪物」を中心に小山良男=元中日=、後藤武歳=DeNA=、小池正晃=元DeNA=ら好選手がそろい、公式戦44戦全勝という金字塔を打ち立てた。母校を50年間率いて甲子園51勝の渡辺元智は「自分の集大成として指導歴のすべてを注ぎ込んだ世代」と懐かしむ。卓越した野球論を持つ同級生の小倉清一郎をコーチに迎え、二人三脚で最強チームを作った。
松坂世代以前にも鈴木尚典=元横浜=、多村仁志=同=、2000年以降も成瀬善久=ヤクルト=、涌井秀章=ロッテ=、筒香嘉智=DeNA=、近藤健介=日本ハム=らが球界を代表する選手に育った。質量とも球界屈指のプロ選手輩出校だ。かつても73年春の甲子園優勝投手・永川英植=元ヤクルト=、全国制覇した80年夏のエース愛甲猛=元ロッテ=らが巣立った。渡辺が勇退した15年夏に45年ぶりの全国制覇を果たしたのが東海大相模。小笠原慎之介=中日=、吉田凌=オリックス=と左右の好投手を擁した。大田泰示=日本ハム=、菅野智之=巨人、田中広輔=広島=らプロで活躍する卒業生も多い。故・原貢監督と原辰徳=前巨人監督=の親子鷹で甲子園を沸かせた70年代に続く充実期を迎えている。
近年2強に迫るのが桐光学園。12年夏の甲子園では1試合22奪三振の大会記録を樹立した松井裕樹=楽天=を擁して8強入り。高橋由伸=巨人監督=、大久保秀昭=慶大監督=の母校である桐蔭学園は、茂木栄五郎=楽天=らが巣立っているが、03年春を最後に甲子園から遠ざかっている。戦前から神奈川球界をリードしたのは神奈川商工と横浜商。神奈川商工から大沢啓二=元日本ハム監督=が巣立ち、横浜商は83年に三浦将明=元中日=を擁して春夏連続優勝した。第2回大会(1926年)を制した慶応(当時は慶応普通部)は50年に東京から神奈川へ。2005年春と08年夏に甲子園で8強入りして名門復活を印象づけた。
最盛期は加盟校が200校を超えた全国随一の激戦区(現在は194校)。平塚農の野村収=元大洋=、藤沢商(現藤沢翔陵)の田代富雄=同、横浜一商(現横浜商大)の木田勇=元日本ハム=、日大藤沢の山本昌=元中日=、桜丘の阿波野秀幸=元近鉄=、藤嶺藤沢の石井貴=元西武=ら多くの好選手が育った。東大から3人目のプロ野球選手となった小林至=元ロッテ=は多摩、同6人目の宮台康平=日本ハム=は湘南の卒業生だ。湘南が優勝した49年の2年生三塁手は後に日本高校野球連盟会長となる脇村春夫。1年生左翼手の佐々木信也はスポーツ番組の司会者として長く活躍した。 (安藤嘉浩)

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る