6月10日 甲子園ベストゲーム 岐阜

朝日新聞2018年6月5日16面:サブマリン全力浮上 投げ方変え自信18番目の選手から甲子園では先発に 一つ増えたベンチ入りメンバーの枠が、球児たちの夏を変えた。1992年夏、岐阜大会直前にできた背番号18。この「18」を手にした投手の存在が、高校生が秘めた可能性を物語る。8月20日、2回戦の県岐阜商ー熊本工は、息詰まる投手戦になった。一回1死二、三塁から救援した熊本工のエース坂田正樹が後続を断つと、県岐阜商は先発の背番号10がゼロを並べる。岐阜大会で「18」をつけた高橋雅巳だ。「(坂田は)49校の中で一番速い投手。あっちが剛なら、こっちは柔。スピードじゃないというのを見せつけたい」と高橋。右上の剛腕に対し、右下手からなめらかに投げ込んだ。
高橋は、土壇場で背番号を得た投手だった。この夏の大会直前に岐阜県高校野球連盟が「少しでも多くの選手に背番号を」とベンチ入り枠を前年までの17人から18人にした。6月中旬に朝日新聞の岐阜版に掲載された各校のメンバー紹介も17人まで。そこに高橋の名前はなかったのだ。3年生で迎えた岐阜大会前のメンバー発表を高橋は思い出す。「(控え投手は)だいたい10番か11番。11番でも呼ばれず、『ああ、終わったな』と思ってあきらめとったら、18番で名前を呼んでもらえた」転機は前年の春。県内にいた下手投げの好投手対策として、上投げから下手投げの打撃投手になった。当時の部長、故・森川豊が数人の投手を呼んで言った。「アンダースローをやってみろ。生きるか死ぬかは、おまえら次第だ」。その投げ方が高橋にピタリはまる。「ひじをうまく使えるようになった」。多いときで300球。打者に投げ込んだ培った制球力が、その後の武器として生きた。
 ピンチに制球力 3戦連続好投「1球ごとに成長」 岐阜大会で安定した投球を見せた高橋は、当時ベンチ入りが15人だった甲子園で「10」をつける。初戦の鹿児島商工戦は先発で7回2失点。チームは1-2の九回に2点を奪い、逆転サヨナラ勝ちをおさめた。熊本工戦で高橋は四回1死三塁、五回無死三塁の場面をゴロを打たせて切り抜ける。「(下手投げで)ボールは自然にシュートして、うまい具合に落ちていく。あのときは神がかったようにうまくいった。自分のイメージでは、詰まらせて内野ゴロだった」九回。1死二塁から高橋を救援した背番号1の高井公洋がピンチをしのいだ県岐阜商はその裏、四球でこの試合初めて無死から走者を出す。義打と単打で1死一、三塁。6番・石田幸人(現・朝日大野球部部長)が勝負に出た。スクイズ。坂田の高めの直球を医師だが三塁線に転がすと、三塁手はどこにも投げられなかった。1-0.2試合連続のサヨナラ勝ち。「岐商らしい、少ないチャンスをものにして勝つ野球が出来た」と小川が振り返る。
県岐阜商は3回戦で東邦(愛知)の0-1のサヨナラ負けを喫し、涙をのんだ。先発高橋は九回無死から三塁打を許して降板。それでも、3試合の好投で全日本高校選抜に選ばれた。「よく試合ごとに成長すると言うけれど、彼は1球ごとに成長していくようだった」と小川。岐阜大会で18番目の選手に選んだのは同級生の学生コーチの推薦だったという。「打撃投手を一生懸命にやって、誰が見ても高橋ならと思えた。『18』がなければ、今思うとどっとしますね」
下手投げの打撃投手からJ始まった甲子園への道。高橋は「あのマウンドに絶対にのぼるんだという気持ちはずっと持ち続けていた。『18』という枠が出来たことで、自分が甲子園に行けた。感謝しています」(上山浩也)
全国出場 ほぼ半分が県岐阜商 戦前から一貫して県内の野球界をリードしてきたのが県岐阜商。選手権、選抜両大会は28回ずつ(春4位、夏5位タイ)。義父の全国大会出場歴のほぼ半分を占める。勝利数でも春48勝(3位タイ)、夏39勝(8位)という全国屈指の伝統校だ。通算2050安打の和田一浩=元中日=は同校から東北福祉大ー神戸製鋼、広島の捕手・石原慶幸も東北福祉大を経てプロ入り。近年も2015年秋のドラフトでソフトバンク1位の高橋純平らが輩出している。
1925年創部。戦前に春3度(33.35.40年)、夏1度(36年)の優勝と春夏1度ずつ(38年夏と39年春)の準優勝。黄金期を築いた好左腕の松井栄造、大型捕手の加藤三郎ら5人は戦地で命を落とした。岐阜県大会のメイン会場となる長良川球場には、松井の銅像が建てれている。終戦後の47年夏も準優勝し、56年には春夏とも準優勝。2年生左腕の清沢忠彦は翌57年夏の甲子園で無安打無得点試合を達成。慶大ー住友金属でも活躍し、春夏の甲子園大会で長く審判委員を務めた。59年春の準優勝時の中心選手は、のちに「ミスタードラゴンズ」と呼ばれる高木守道=元中日監督。
今春から監督となった鍛冶舎巧は、69年春に選抜大会通算100号本塁打を放った強打者。早大から松下電器に入り、監督も務めた。2014年に熊本・秀岳館の監督に就くと、同校を16年春から3季連続で甲子園ベスト4に導いた。その手腕に期待がかかる。歴史的に県岐阜商とライバル関係にあるのが岐阜。1883年に創部という国内屈指の伝統校で、49年夏に左腕・花井悠=元西鉄=を擁して準優勝。V9巨人の名捕手、森紙晶(本名・昌彦)=元西武監督=、東京六大学リーグで三冠王を獲得した後藤寿彦=元慶大監督=も卒業生だ。
こうして見ると、頭脳派の捕手、内野手と好左腕が多いのが特徴か。岐阜総合学園の大野奨太=中日=、愛知・中京大中京卒の嶋基宏=楽天=の両捕手も岐阜出身。阪急の左腕エースとして通算254勝の梶本隆夫は多治見工の卒業生。夏の甲子園大会で県内2位の出場6回、7勝を挙げているが中京学院大中京(旧中京、中京商)。松田宜浩=ソフトバンク=の母校だ。岐阜第一(旧岐阜短大付)も好左腕・湯口敏彦=元巨人=を擁した70年と83年に、夏の甲子園大会で3勝ずつをマークした。市岐阜商、大垣商、土岐商など実業系の公立校が優位だった戦力地図を塗り替えたのが大垣日大。愛知・東邦を長く率いた坂口慶三が05年、監督に就任。07年春の甲子園出いきなり準優勝するなど、県岐阜商の新たなライバルとなった。(編集委員・安藤嘉浩)

 

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