6月6日 白球の世紀99

朝日新聞2018年6月1日夕刊12面:王貞治の背中に学んだ 1971(昭和46)年の第53回全国高校野球選手権大会で準優勝した磐城(福島)の監督、須永憲史(76)が妥協を許さぬ猛練習を課したのには、理由があった。福島県いわき市出身の須永はプロを目指し、東京の早稲田実に進んだ。父が亡くなり地元に戻って、磐城に再入学するまでの約1年間通った。須永が入学した57(昭和32)年の春、早稲田実は王貞治を擁し、選抜大会で優勝した。「1学年上の王さんは毎試合のように本塁打を打ち、頭も良くてチーム内で一つ抜けていました」
一方、須永は練習では強打を見せるものの、試合で結果を残せなかった。後に進んだ日本大学では後輩で日大三(東京)出身の倍賞明(74)に一塁手の守備位置を奪われたという。「自分には欠点があったんです。練習では飛ばしましたが、試合になるとあがって打てなくなる。練習を積んで、不安を無くすしかないと考えたんです」早稲田実時代、王の練習を間近で見ていた。野球センスの持ち主の王ですら、黙々と素振りを重ねていた。目に焼き付いた王の姿が、監督を務めた磐城での猛練習の原点となった。ただ、磐城は県内有数の進学校。「磐城にあらずんば、人にあらず」。そんな言葉さえささやかれ、磐城受験のための地元予備校に多くの中卒の浪人生が通った。当時入学する5人に1人が、浪人生だったという。
体格に恵まれた選手が少なく、甲子園で準優勝した71年の磐城の選手の平均身長は170㌢に満たない。須永は練習で対格差を埋めようと、さらに力を入れた。大会で試合を勝ち進んでも、選手らは喜びよりも「また練習が続く」とうんざりした。二塁手だった舟木正己(64)は振り返る。「毎日よく耐えたなと思う。ただ、抜きんでた力がなくても、やり通すことがいかに大切かを知ることができた」準優勝した磐城には、炭鉱の町ゆえの利点もあった。(五十嵐聖士郎)

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