6月30日 白球の世紀115

朝日新聞2018年6月25日夕刊10面:牛の世話 培った長打力 都城(宮崎)の中堅手として、1990(平成2)年の第72回全国高校野球選手権大会に出場した木山雄二(46)は宮崎県都城市の畜産農家で育った。3歳の時、牛のえさとなるわらの裁断機に右手を巻き込まれ、親指と小指以外の3本の指の第2関節から先を失った。都城は子牛の産地で知られ、木山家ではかつて約50頭の子牛を育てていた。生後8カ月ほどでセリに出す子牛は、三重県や兵庫県などの肥育農家で20カ月以上育てられ、ブランド牛として出荷される。子牛は発育がいいほど高値がつくため、世話が欠かせず人手がかかる。
木山は、子牛の世話を小学校高学年の頃から手伝った。飲み水やえさを入れたバケツを運んだ。夏は円筒状倉庫のサイロに飼料用トウモロコシを入れて踏みしめ、冬は発酵したそのトウモロコシをえさ箱に詰めた。木山は「牛はえさが足りないとなくので、サボるとすぐにばれた。『なんでお前らのために手伝いばかりしないといけないんだ』と思うこともあった」と振り返る。
ただ、小学4年で野球を始めた木山は、その肉体作業を鍛錬の場とも考えた。「『人に追いつこう、追いつかないと』という思いがあった。いい選手になれば、何も言われなくなると」
小学校では縦笛を満足に吹けず、中学校の体育祭のダンスでは、手をつなぐのがはばかれた。指を失ったこといで心ない言葉を言われ、悔しい思いをしたことがあった。右手を人前に出したくないとも思った。周囲を見返そうと、右手の残る2本指と左手で畜産の手伝いをして、バットを振った。右手の握力は、同級生に劣らないほどになった。
地元の中学野球部では中軸を任された。同級生には、PL学園(大阪)に進み、後にプロ野球で投手として活躍する入来祐作がいた。「軟式野球ではバットに当たれば長打になった。入来とは打順を争いっていた」という。木山は地元の強豪校、都城に進んだ。(五十嵐聖士郎)

 

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る