6月3日 甲子園ベストゲーム47 北海道

朝日新聞2018年5月29日15面:北の大地 豪打咲く 無死一塁。「打て」取られても取り返す 甲子園で優勝するイメージだけは持とうと務めてきた。胴上げ練習も一度だけした。それが、現実になる。2004年8月22日。駒大苫小牧、3点リードの九回。済美(愛媛)の4番・鵜久森淳志が放った打球は、二塁後方へ上がった。主将で遊撃手だった佐々木孝介は「二塁手の林(裕也)が、気を使ってくれたと思うんです。2人で追っていたけど、林が座って。『孝介さん、捕ってください』って感じで指さしたので」。ボールが落ちてくる。捕れば、優勝だ。「長く感じました」
試合は序盤から動いた。先発の岩田聖司が、二回途中で降板。左手中指の皮がむけていた。交代した鈴木康仁は、「香田(誉士史)監督から、『やばそうだな、と自分で感じたら準備しておけ』といつも言われていた」。岩田の指の状態も把握したうえで、一回から肩をつくっていた。済美は初出場ながら、同年春の選抜大会を強打で制し、史上初の「初出場で春夏連覇」に王手をかけていた。鈴木も、食い止められない。しかし、駒大苫小牧の打線は、どんなの点を取られても、取り返した。象徴的だったのが、3点を追う六回無死一塁、捕手・糸屋義典の打席だ。選手全員が、監督のサインに目を疑った。糸屋も驚いた。「『おお、打っていいんだ』って。無死一塁で、バンドのサイン以外、見たことがなかったから」
香田(現・西部ガス監督)は「直感でした」と振り返る。カウント1ボールから、糸屋の放った打球は左中間席へ飛び込んだ。さらに後続からも適時打飛び出し、追いついた。「ここで一気にいったのが、勝ちにつながったと、今は思います」。社会人野球の強豪、東芝に進んだ林も、試合のポイントに挙げる果敢な攻めだ。04年の駒大苫小牧は、「1勝」が最大の目標だった。前年の夏の1回戦、四回途中まで倉敷工(岡山)を8-0でリードしながら、降雨ノーゲーム。翌日の再試合で敗戦、という悔しさを味わったからだ。戻ってきた甲子園。初戦で佐世保実(長崎)を7-3で破り、選抜大会も含めて大舞台で初勝利を挙げた。次の相手、日大三(西東京)には7-6で競り勝った。「ここからです。いい意味での勘違いが始まるのは」と佐々木。横浜との準々決勝は、2年生だった林が大会史上5度目のサイクル安打を達成するなど、好投手の涌井秀章(現・ロッテ)を攻略した。
 雪上ノックの鍛錬「北海道をなめるな」 優勝できた要因を、みな口々に「勢いがあった」という。それは、すべてではない。代名詞でもある「雪上ノック」など、過酷な環境を言い訳にしない練習を積んできた。おぼろげだった「北海道のチームでもやれる」という自信が、勝ち進むたびに膨らんでいった。大会記録として残る4割4分8厘のチーム打率は、その結晶だ。翌夏、林が主将に就いたチームも頂点まで駆け上がった。そのまた次の夏は、史上2校目の3連覇にあと1勝と迫った。雪の中での練習は北海道で常識となり、15年の選抜大会では、東海大四(現・東海大札幌)が準優勝。16年の夏は、当時37回目の出場だった北海も準優勝した。いま母校で教師、監督として後輩たちを指導する佐々木は言う。「当時からすっと変わらないのは、『北海道をなめるな』という思いです。だから、ほかの学校が甲子園で活躍しても、すごくうれしいんです」。開いた道を、続くライバルたちがいる。互いに刺激し合い、北海道の高校野球を、もっと高めていく。
南は近年勝ち越し北は苦戦 「雪が邪魔なら、どけたらいいさ」。柔らかい響きの沖縄ことばが、北海道の野球を変えた。まだ駒大苫小牧の名前が全国に知れ渡る前。当時監督の香田誉士史=現・西部ガス監督=は、社会人野球部の大昭和製紙北海道座在籍時に都市対抗大会優勝の経験がある我喜屋優に、冬場の練習について悩みをこぼした。後に母校の興南(沖縄)を率いて春夏連覇を達成する我喜屋が香田に送ったアドバスが、冒頭の一言だ。冬は体力作りから、プレーの精度を高める期間へと変化。86、87回大会(2004、05年)を連覇し、エースに田中奨大=ヤンキース=を擁した88回大会(06年)も準優勝と、強烈な大会史に刻む。
香田が89回大会(07年)を最後に北海道を離れた後は、東海大四(現・東海大札幌)が15年の選抜大会で準優勝。99回大会(17年)まで全国選手権に最多38回出場の北海は98回大会(16年)、エースであり主将の大西健斗=慶大=を中心に初の決勝進出を果たした。指導する平川敦は北海OBで、百貨店勤務の経験がある異色の経歴だ。北海道は41回大会(1959年)から選手権大会で場が南北2校になり、以降の甲子園成績は南が34勝57敗、北が18勝59敗。81回大会(99年)以降は南が駒大苫小牧、北海の活躍で勝ち越しているのに対し、北は苦戦が続く。93年春に4強、90回大会(2008年)で3回戦に進出した「ヒグマ打線」の駒大岩見沢は14年3月に閉校。監督の佐々木啓司はクラーク国際に移り、98回大会で大舞台に戻った。
公立勢も個性的で鵡川は砂川北で甲子園経験のある佐藤茂富元監督のもと、選抜大会に3回出場。同じ室蘭地区の駒大苫小牧とはライバル関係にあった。遠軽は87、88回大会と連続で北大会決勝に進出。フルスイングが身上の打撃は、林英敏監督(現・旭川西)から佐藤貴之監督に代わっても引き継がれ、13年には21世紀枠で選抜大会に出場し、白星も挙げた。
選手は伝統的な好投手が多い。阪急の中心投手だった佐藤義則=楽天コーチ=は奥尻島生まれで函館有斗(現・函館大有斗)に進んだ。阪神などで細身の左腕エースだった星野伸之は旭川工で野球に打ち込んだ。近年では北海出身の鍵谷陽平が日本ハムへ。函館工の青山浩二=楽天=、旭川工の武隈祥太=西武=は長くプロで活躍する。十勝地区・江陵出身の古谷優人=ソフトバンク=は、98回北大会準々決勝で20奪三振の快投を演じた。野手ではヤクルトで通算2173安打を放ち、監督も務めた若松勉が北海出身。70回大会(1988年)で甲子園に初出場した札幌開成(現・札幌開成中等教育学校)の主将だった川村卓・筑波大准教授は動作解析の第一人者であるとともに、同大野球部監督として後進の指導にあたっている。 (山下弘展)

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