6月29日 未来ノート ラグビー 松島幸太朗

朝日新聞2018年6月24日12面:南アに生まれて 父の住む地で見つけた目標 南アフリカで生まれ、2歳から日本で育った松島幸太朗(25)が、小学生の時に書いた将来の夢はプロサッカー選手。でも、「そんなに情熱があるわけじゃなかった」。中学に進むと、練習が楽そうなバレーボール部に入った。小さい時からやっていたサッカーをたやめたのは「練習場が遠かったから」。プロラグビー選手として活躍する今の姿からは、想像しづらい思春期だ。
そんな面倒くさがり屋がラグビーを始めたのは中1の冬。両親は、目標を見つけられないでいる息子を父ロドリックさんが住む南アに行かせた。中1の途中から中2の終わりまで通った学校は、現在人口12万人のグラハムズタウンにあるグラハムカレッジ。松島には「田舎」に映ったが、スポーツ環境は整っていた。
学校のスポーツはシーズン制。夏は水泳。冬は、先生に「やってみないか」と誘われたラグビーを選んだ。最初はタックルを受けて驚いたが、相手を抜き去るのは楽しかった。寮では南ア代表の試合をテレビ観戦。「みんなで盛り上がって。一体感がよかった」週末、家に帰るとジャーナリストの父は「スポーツだけじゃだめ。勉強しろ」と厳しかった。母国ジンバブエで内戦と貧困を経験した父は、教育の大切さを痛感していた。松島は、父が見ている時だけは背筋を伸ばして机に向かった。後に神奈川・党員学園高で「松島は授業中の姿勢がいい」と評判だったのはこの時期の名残のようだ。
高校卒業後、南アのクラブの養成機関へ進み、2年目に若手チームの先発に定着。3年目は発の給料も手にした。「ラグビーで食える」と確信できたのはこの時だ。2015年ワールドカップでは日本代表として、かつて寮のテレビで仰ぎ見た南ア代表を倒した。母の多恵子さんは「南アフリカに色々な恩恵を受けている」と言う。松島も、南アでラグビーを始めなかったら「今ごろ、何もやっていなかっただろうな」と振り返る。(野村周平)

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