6月2日 学徒兵んの声 後世に

朝日新聞2018年5月28日夕刊6面:戦友ごと僚船撃沈■特攻、出撃できず生き残る 3395人動員の法政大 冊子を作成 太平洋戦争末期に、学業を中断させられ軍隊へ召集を受けた元学徒兵ら45人の証言集を、このほど法政大学(東京)が6年がかりでまとめた。戦友の最期、特攻の生死の分かれ目、軍隊内の理不尽な暴力など、70年以上を経った今こそ後世へ残したい逸話を収録した。
学生が戦地へ送られた事実を本人の語りで伝えようと、2012年度から調査していた。元学徒兵42人をはじめ、勤労動員の体験者や、特攻隊員の身の回りの世話をした女性の回想も加え、3月末に発刊した。証言者は調査時88~95歳。証言集の完成を待たずに、すでに11人が他界している。語られた軍隊体験は多様だ。海軍航空隊員になった島崎晃さん(故人)は、輸送船で南方へ送られる際、僚船が敵の魚雷攻撃で次々と沈没する光景を眼前にした。裂けた船体は水面に直立し、戦友を道連れに海中へ消えた。「助けられないんです。止まったらこっちがすぐやられますからね」。12隻の船団で、無事だったのは4隻のみだっという。
敗色が濃くなるなか、学徒動員は1943年10月から本格化。法政大では計3395人が学徒兵となり、卒業生と在学生の戦死は判明分だけで694人。うち40人が特攻死という。海軍の飛行士になった小川昇さん(95)は、特攻隊に志願し、出撃を待っていた。ただ45年7月、茨城県の百里基地にあった搭乗機が米軍の機銃掃射で炎上、鹿児島の出撃基地へ行けなくなって終戦を迎えた。仲間は次々と出撃し、一緒に訓練を受けた第14期飛行専修予備学生は主に特攻で411人が戦死。「本当に際どいところで生き残った」と振り返る。
一方、伊藤喜美さん(故人)は、陸軍の配属部隊から、諜報員を養成する中野学校へ送られた。門に校名はなく、「通信省気象研究所」とあった。「国籍返上異議なし」とする書面に署名させられ、謀略工作の訓練を受けた。「危なかったら捕虜となり、(相手に協力したふりをして)逆スパイをやれ」と教えられたという。社会のエリート候補とみられがちな「学校出」は、軍隊内でにらまれた。航空部隊でエンジン整備をした行待明夫さん(96)が「死んだやつもおりますからね。リンチで」と語るように、何かにつけて殴られたとする回想も多い。
四国の松山市には特殊潜航艇「蛟龍」部隊の駐屯地があり、近所の金行節子さん(94)は母と一緒に隊員の世話をした。部隊員の法政大生が、心に秘めた初恋の相手だった。母は「子どもを、何でこういう戦争に引っ張り込むんだろうか」と、嘆いていたという。大学史センターで聞き取りに携わった古俣達郎さん(36)は「今後は、戦死した方々が家族や友人に残していった『声』を掘り起すことが課題となる」と話している。(編集委員・永井靖二)

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