6月16日 白球の世紀105

朝日新聞2018年6月11日夕刊10面:逆風の炭鉱町に紙吹雪 1971(昭和46)年の春、福島県いわき市の大規模炭鉱が閉山した。炭鉱とともに発展してきたまちの、一つの時代が終わりつつあった。その夏、地元の磐城が甲子園で活躍した。「閉山、離職、引っ越し‥と、この四月以来、福島県いわき市常盤の炭鉱街をおおっていた暗い空気をもすっかり吹っ飛んでいた」(原文ママ)
第53回全国高校野球選手権大会決勝の日の地元の盛り上がりを朝日新聞が伝えている。春の閉山で5千人近くが解雇され、市の人口(毎年4月1日時点)は翌72年、市発足以来最低の32万3千人に減った。炭鉱会社に勤めていた監督の須永憲史(76)や選手の父親らが、職を変えていた。記事は続ける。
「それだけに『若い世代の活躍がドン底の生活にあえいでいる大人をどんなに勇気づけてくれたことか』と”ヤマの男たち”の拍手は惜しみなく続いた」準優勝した選手らは地元の駅に到着する前、列車内で汚れたユニホームに着替えた。オープンカーに乗り、約3時間パレードした。「1時間前から沿道には大勢の市民が詰めかけ、見慣れたブルーの帽子に歓声が沸き起こり、紙ふぶきが舞った」(磐城高校野球部OB会発行「白球の軌跡 世紀を越えて」)
「まさかパレードをするとは思わなくて、実家近くで同級生と目が合った時に、はにかんで応えたような記憶がある」。父親が炭鉱で働いていた二塁手の舟木正己(64)は47年前の自身の写真を見て思い返した。一方、須永やエースの田村隆寿(66)らは甲子園決勝後、ハワイに遠征する全日本高校野球選抜チームに選ばれ、すぐには地元に戻らなかった。選抜チームには、初戦の日大一(東京)のエース保坂英二(64)も入り、田村らと親交を深めた。帰国後、保坂はいわき市のレジャー施設「常磐ハワイアンセンター」(現スパリゾートハワイアンズ)に招かれ、ギターを弾いて磐城選手らと歌い再会いのひとときを過ごした。
(五十嵐聖士郎)

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