5月6日 白球の世紀78

朝日新聞2018年5月1日夕刊8面:後遺症に悩み、プロ引退 1950(昭和25)年5月、打球を受けて右手をけがした当時25歳の大洋投手、今西廉太郎(93)は後遺症に悩まされた。「スナップを利かせると、手首からひじにかけてピシッと痛みが走って、腕が思い切り振れなくなったんですよ。腰が落ちて、ボールを押し出すような投げ方になってしまって」それでも50年は10勝13敗の成績を残したが、51年2勝7敗、52年2勝1敗と低迷した。53年には、古巣の阪急に復帰するものの、登板の機会に恵まれず、0勝2敗に終わった。
「まだやれる、まだやれる、と自分を励まして、何とかカムバックしようと努力を続けたんですが・・」54年は、東映に移籍して2勝8敗。55年5月6日の南海戦で、実に5年2カ月ぶりに完封勝利を収めたが、結局、このシーズンも2勝12敗という成績に終わった。最後の勝ち星は7月31日の対トンボ戦。相手投手は、戦前から巨人、大映などで活躍したスタルヒンだった。今西の通算成績は88勝102敗。このうち80勝は前半の5年間にあげた勝ち星だった。
56年、今西は東映の2軍コーチに就き、のちにエースとなる土橋正幸らを教えた。しかし、1年後、スカウトへの転出を打診されると、自分には向いていない、とプロ野球の世界から去ることを決意する。46年のデビューから11年。この間に時代は大きく動いた。56年の経済白書は「もはや戦後ではない」と書いた。日本社会は、高度成長のただ中にあった。
「大阪に帰ろう。大阪に帰れば何とかなるやろ」そう考えていた今西に声をかけてきた人物がいた。大阪・浪華商(現大体大浪商)野球部の後輩で、東映でもいっしょにプレーした投手、米川泰夫の知人だった。「今西さん、軟式野球チームのコーチをやりませんか。将来は硬式に切り替えると言っているんですが・・」
(上丸洋一)

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