5月4日 耕論 これからの天皇像

朝日新聞2019年5月2日9面:本当に発信したいことを 森暢平さん 成城大学教授 1964年生まれ。毎日新聞の皇室担当記者などを務める。著書「天皇家の財布」、編著「皇后四代の歴史」など。 被災地訪問や戦争犠牲者への慰霊・平和祈念といった平成の時代の天皇・皇后が取り組んできたことを引き継いで欲しいという論調が多いですね。しかし、私は、そうは思わない。時代は確実に変わっている。前の世代と同じことを続けても、効果的ではないことは明らかです。
平成の天皇・皇后は、昭和の代とはまったく違う姿をみせ、衝撃を与えました。例えば、被災者の前でひざまずくという姿勢です。しかし、同じことを引き継いでもインパクトはないし共感は得られない。時代に即した新しい姿勢を見せなくては、人々の心に届きません。
美智子妃(当時)は、洋風キッチンに立つ姿を見せ、公団住宅を訪問し、マイカーでドライブした。豊かな生活への憧れと2人の姿がシンクロしました。国民の憧憬の対象としての天皇制は、ラジオや新聞を通じて、大正時代から存在していましたが、2人はそんな時代にいました。平成がスタートしたころは「日本国民」という共同体がまだ堅固でしたが、現代は国民というフィクションが崩れ、島宇宙的な共同体が分立しているようにみえます。日本国民という「全体」に向かって祈ることが、以前と同じリアリティーをもっては受けとめられなくなっています。国民全員に好かれようと「理想的」な天皇を演じることは現代の象徴天皇制にとってもプラスではない。ネットの時代には「アンチ」の人が必ず出現します。自分たちの体験に基づいた、本当に言いたいことを発信しないと、共感が得られないと、共感が得られません。即位後も、上皇夫婦の存在感は大きいでしょう。公務はしないとしても、私的には、外国要人など多くの人に会うはずです。メディアが2人を追い続けるのは間違いない。現実問題として、「権威の二重性」は生じてしまう。
新しい天皇と皇后は真面目な人なので、独自色を出そう、発信をしようとの意見を持っているようにみえます。でも、気負わなくても良いのではないでしょうか。ありのままの姿であれば十分です。平成の間に、公的行為といわれる、憲法に明記されていない仕事が増え、象徴としての天皇の仕事が肥大化した。しかし、「何事も為さない」、何もしないというあり方こそ本来的です。国政に関する権能を持たない天皇に、国民が多くを期待しすぎるのは健全ではありません。国家システムとして求めているのは、あくまで記号としての天皇です。ある意味ハンコを押すだけでいいとしか憲法には書かれていません。しかし実際には記号ではなく、人間です。天皇・皇族にとってっも、自己実現とは何か、何を為して生きるべきかは、最大の難問だと思います。(聞き手・池田伸壹)
伝統を継ぐ者同士として 観世清和さん 能楽観世流二十六世宗家 1959年生まれ。学習院初等科から高等科まで新天皇陛下の学友。2017年に東京・銀座に観世能楽堂を開場。 学習院初等科のころ、新天皇陛下には同じ「伝統文化」の世界に身を置く者として、ある種の励ましをいただいたことがあります。小さいころから父のつける厳しい稽古がありましたから、「放課後遊び、今日どう」と陛下に誘われても「父のお能のお稽古があるので」とお断りすることがよくありました。そんなある時、陛下に「わかった。お能のお稽古、大事だよね」とお声をかけられたことがありまして。その瞬間、陛下も日本の伝統文化という、自分と同じ世界に身を置いておられるんだ。という共通の感覚のようなものを感じました。子ども心に、僕も頑張らなくちゃ、と。それが今も私の能楽人生の宝となっております。伝統は、先代が私に乗り移り、私が息子に乗り移り、そのようにしてつないでいくものなんです。我が家は観阿弥、世阿弥から700年近く、父から子へと血縁で受け継いできた家なのですが。文字どおり、子は親の生き様をよく見ておくことが求められます。あの日、あの時、父はこうやっていたな、と。
それも、父や祖父のやっていたことをただまねをするだけではだめなんです。なぜそうしたのかと疑問をもたいないと。そこから自分ならではのものが生まれてくる。上皇さまと新天皇陛下の関係も、これと同じではないかと推察いたします。伝統の重みは陛下も日々感じられてこられたのでしょう。私の場合、父の急死で31歳で家元を継承しましたかた当時は無我夢中です。少し経てじわじわとプレッシャーが追いかけてきました。まだ教わっていないこともりましたから。父の残した書き置きを、穴のあくほど読みました。「そこは先代はこうやっていた」と、長老方にも色々言われました。父親と比べられては、息子はたまったものではないですよ。でも、そうやって先代と比べてもらえることは、徳を積む一種の手段と考えれば、ありがたいことと、考え方を改めました。
59歳といえば世間ではそろそろ定年退職し、ペースダウンさせた第二の人生を踏み出す時期です。陛下はそのお年で、これから、今より重い天皇のおつとめを始められる。でも、伝統文化の世界では実は年齢は関係なのです。50.60は鼻たれ小僧、80歳くらいにならないと一人前ではありません。しかも家名を襲名すると、重い名前を継ぐことで責任が増し、舞台も磨かれてゆく。「皇太子殿下」から「天皇陛下」に変わられ、いわば家名襲名、これからが、本番でございます。そのために欠かせないのは健康です。昨年お会いした時、どうぞ、お体にお気をつけてと申し上げましたらね、陛下に「あなたもね」と。(聞き手・斎藤智子)
雅子さま、生き生きと外へ 辛酸なめ子さん コラムニスト 1974年生まれ。皇室ウォッチャーとして一般参賀に通う。著書に「魂活道場」「天皇愛」など。
雅子さまが婚約時代、街でお見かけして「雅子さま~」とお声がけしたら、笑顔で手を振ってくださったんです。華々しい学歴とキャリアの持ち主で、国連会議の出席者にいそうな雰囲気。「あこがれのお姉様」でした。雅子さまには、皇室でのキャリアに対する理想があったのだと思います。それがお世継ぎ問題もあり、難しくなってしまったのでしょう。美智子さまは、翻訳本を出版されたり、養蚕に力を入れたりと、ご自身の道を見つけられました。声が出なくなりながらもご公務を続け、週刊誌の報道に苦言を呈されることもありました。でも雅子さまはある意味、不器用な方なのではないでしょうか。だから「抜け道」を見つけられなかったのではと思います。体調を崩されても、一見するとお元気そうに見えるので、「なぜスキーには行っても、一般参賀には出られないのかしら」となってしまったのです。皇后になられたことで、雅子さまらしさが出ることを期待しています。代替わりの儀式を経て、「何かが降りてきて覚醒する」というイメージでしょうか。頂点に立たれることで使命感が高まり、以前のように、生き生きとされるのではと思います。
雅子さまなら、ヨーロッパの迫力あるあるお妃さまと並んでもひけを取らない美しさと存在があります。海外の皇室雑誌にはなかなか日本の皇族は出なくて、アジアではブータンの国王夫婦が取り上げられるぐらいです。ぜひ日本の皇室にも、こんなに頭がよくてすてきな皇后さまがいると、知らしめてほしいです。仁徳天皇陛下のキーワードは「水と山」です。水問題にお詳しく、修験道などで信仰の対象になっている山を中心に170以上を登り、そこでいいエネルギーを吸収しているはずです。雅子さまは、移動すると元気になられるタイプだと思います。座ったままの儀式やご観覧だけでなく、日本や世界の山に、ご一緒に出かけてはいかがでしょう。陛下が、雅子さまにプロポーズした際の「一生、全力でお守りします」という言葉を守っていらっしゃるのも、女性としては感動します。これから一般参賀や会見でご自身の言葉で話す機会も増えるので、お人柄がだんだん伝わってくるのではと思います。上皇さまも、天皇に即位されたときの印象は強くありませんでしたが、徐々にそのお姿が浸透してきました。令和という元号は「空気は美しく風はやわらかに・・」という春の訪れを告げる内容で、雅子さまの体調と重ね合わせると、いい方向に向かっていく兆しを感じます。私はAI時代も愛が重要ということで「永愛」がいいかなと思っていたのですが。(聞き手・岡崎明子)

 

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