5月31日 ベストゲーム佐賀

朝日新聞2018年5月25日18面:普通の高校生 頂点へ 9回満塁「球がスローに」 記録的な猛暑に見舞われた1994年夏の選手権は、神がかり的ともいえる満塁本塁打によってフィナーレを迎えた。4-4で迎えた九回表。2死満塁で打席に立った佐賀商の西原正勝は、不思議な感覚を味わった。「ボールが投手の手が離れてから少しずつスローモーションになっていったんです」。初球から積極的に打つタイプではなかった。しかし、初球の低めの直球に体が勝手に反応。ボールがバットに当たる瞬間まで、はっきり見えたという。究極の集中状態だった。打球が左中間席に届く前から西原は右手を突き上げていた。
西原は後の取材で「試合直後は『直球を狙っていた』と言いましたが、興奮して思わず出た言葉。直球がくる予感はあったが、本当はなぜ初球から打ったのかも分からないんです」と振り返った。ベンチに戻ると手がぷるぷると震えていたという。「野球人生で一度きりの体験でした」24年前のシーンを、エースの峯謙介は「一緒、グラウンドの歓声が消えた」と記憶している。裏の投球に備えて一塁ベンチ前でキャッチボールをしていて、満塁本塁打の打球がよく見えなかった。「何が起こったんだろうと‥。そしたらまた歓声がワーッとなって、それで初めて満塁本塁打だと分かりました」。峯にとって、周囲の音が耳に入らなくてなるほど強烈な瞬間だったのだろう。
6試合で708球マウンド譲らず 2年生だった峯は、佐賀大会では背番号「11」。甲子園で「1」を背負ったが、スタミナに自信があったわけではない。冬場に練習過多で足がはれあがり、2ヵ月ほど練習できなかった。そこで、投球術の改善に取り組んできた。「全力投球は頭になかった」。マウンドで次打者の素振りにまで目を配り、狙い球を外す技術を磨いた。甲子園で努力が実った。準々決勝から3連投のマウンド。体が重く二回に3点を失い、あと1失点で投手交代だったという。そこから立ち直った。途中から疲労のため軸足に力が入らなくなったが、打者への集中力は研ぎ澄まされていった。「七、八回は投球内容もはっきり覚えていない。なぜ抑えられたのかもよく分からない」。6試合で計708球。峯以降、マウンドを1度も譲らずに夏の全国選手権の頂点に立った投手は、出ていない。
九州勢同士が決勝を戦ったのは、第76回大会の1度きりだ。大方の予想は「樟南有利」だった。樟南は前年春夏の甲子園でも活躍した福岡真一郎と田村恵の強力バッテリーを擁し、大会前から優勝候補に挙がっていた。佐賀商は「無印」で、田中公士監督は試合前から「大差で負けるかも」という不安でいっぱいだった。
当時の朝日新聞鹿児島版に掲載されたエピソードが、両校の「格」を如実に表していて面白い。開会式リハーサルで、樟南バッテリーを佐賀商の控え選手数人が党薪に見ていた。居合わせた記者が「声をかけてみたら?」と促すと、佐賀商の選手は「いえ、後ろから見ているだけで十分です」と答えたそうだ。
県民に勇気「がばい凱旋」へ そんな佐賀商の優勝は多くの県民に勇気を与えた。後年、朝日新聞西部本社の「私と高校野球」という企画で読者の投書が紹介された。「『佐賀ってどこ?』と尋ねる多くの友人の中にいて、なぜか自分が佐賀出身であることが恥ずかしく思えた時もあった。しかし、優勝でそんな思いもどこへやら。佐賀県人であることを誇りに思えた」田中監督は、普通の高校生でもやればできることを目の当たりにした。だから「近いうちにまた佐賀勢が優勝するかも」と思っていた。予感は13年後の2007年、佐賀北による「がばい旋風」で現実となった。
無名・公立‥07年に佐賀北もV 今年3月、佐賀市で開催されたプロ野球・西武ー広島のオープン戦は、約1万人の観客で盛り上がった。佐賀県出身の監督同士が、初めて地元で戦ったからだ。西部の監督・辻発彦は佐賀東、広島の監督・緒方孝市は鳥栖OB。ともに高校時代は甲子園に縁がなかったが、プロで活躍した。
辻、緒方らを中心に活動する佐賀県出身プロ野球県人会は毎オフ、少年野球教室を開催。すでに33回を数え、多くの子どもたちが始動で刺激を受けて、高校球児となっている。全国選手権で佐賀勢の通算勝利数は38勝(全国37位タイ)、勝率は4割(同33位)。その中で、2度の全国制覇がひときわ輝く。76回大会(1994年)の佐賀商と、89回大会(2007年)の佐賀北だ。
両校の優勝には共通点が多い。田中公士監督率いる佐賀商は、開会式直後の試合に勝ち勢いに乗った。接戦を勝ち抜き、樟南(鹿児島)との決勝で、西原正勝が決勝史上初の満塁本塁打を放った。百崎敏克監督率いる佐賀北も開幕試合を戦った。準々決勝は帝京(東東京)に延長十三回サヨナラ。広陵(広島)との決勝は、八回、副島浩史の満塁本塁打で逆転勝ちした。佐賀商と違い、全試合が馬場奨史と久保貴大の継投だった。当時は島田洋七さんの著書「佐賀のがばいばあちゃん」が話題で、「ばがい旋風」と呼ばれた。両校とも無名の公立校。全国の球児に勇気を与える「普通の高校生」の優勝だった。70回大会以降で公立校の優勝は、この2校以外に広島商(70回)と松山商(78回)しかない。
昭和初期まで佐賀中(現佐賀西)が強さを誇り、戦後は鹿島が42回大会(60年)で全国4強入り。80年代以降に板谷英隆監督のもとで佐賀商がリードした。64回大会(82年)は新谷博(元西武)が木造(青森)戦で無安打無得点試合を達成。70、71回大会に出場の香田誉士史(現・西部ガス監督)は、駒大在学中に母校の臨時コーチとして佐賀商の優勝を支えた。その後、駒大苫小牧(南北海道)を率いて2大会連続優勝を果たしている。
00年代は群雄割拠の状況が続く。その中で百崎は神崎の監督時代を含め春夏5回の甲子園出場を果たし、07年に頂点へ。しかし、08年以降は県勢の8強入りはなく、連続出場もない。甲子園に出場しドラフト1位指名は、佐賀学園の実松一成(日本ハム)と唐津商の北方悠誠(元横浜)。権藤博(鳥栖)は甲子園不出場ながら投手で中日で大活躍し、横浜(現DeNA)監督として98年日本一を達成した。現役では昨季セ・リーグ首位打者の宮崎敏郎(厳木)、新人で10勝の浜口遥大(三養基)のDeNAコンビらがいる。

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る