5月3日 我が病と世の災いと

朝日新聞2019年5月1日30面:作家 古井由吉(寄稿)ふるい・よしきち 1937年生まれ。作家、ドイツ文学者。1年7「杳子」で芥川賞、83年『槿』で谷崎潤一郎賞。90年『仮住生伝試文』で読売文学賞。『野川』『ゆらぐ玉の緒』『この道』など。停滞か繁盛か輪郭つかめぬ平成 この4月の初め、まだ改元の前のこと、数人が集まった中で、平成という年間はその輪郭がどうもはっきりとつかめないように感じられる、と言う声を聞いた。私などはまして戦前、昭和12生まれなので、昭和から平成へかけての年月を数えようとすると、まず西暦へ換算しなくてはならず、手間がかかる。丁寧に数えたつもりでも、どうかすると何年かのずれが出て来て、首をかしげさせられる。気がついてみれば、1991年つまり平成3年を平成元年と思いこんだのが、間違いのもとだった。1991年と言えば、それまで足掛け6年も続いた過剰景気、のちにバブルと呼ばれたものがはじけた年になる。その年の初めに私自身も頸椎、首の骨が長年の重みに堪えかねたか壊れて、入院50日、そのうち半月ほどは仰向けのままの安静を守らされるという憂き目を見た。折から第一次湾岸戦争が始まり、病院の内でもテレビの報道の声が流れ、激しい戦闘という言葉がのべつくりかえされ、まるで戦闘を形容するのに、激しいという言葉しかないかのうようだった。さらに、我が国の泡景気の崩壊するのに前後して、旧ソ連の解体が伝えられ、そんなことまで起こるものかと驚かされた。これからも何があるか知れないと思った。
そんな世の中の変動があり、私も病中にいささか起死回生の思いをさせられたが、この1991年を次の時代の始まりと取り、平成3年であるのに元年と、後年に思い出すようになったようだ。平成7年には阪神淡路の大震災があり、地下鉄サリン事件もあり、これまた平成の始まりのように思われることもある。好況であろうと不況であろうと、東西の冷戦の構造が崩れようと、もともと時代遅れのような私の暮らしには変りもなかったが、なにやら戦後の世界がいよいよ傾きかけたように感じられ、これからはとにかく自分の仕事にさらにしっかりと取り組むよりほかに道はない、とだいぶ心細い気持ちであたりを見まわせば、世の中は行き詰っているようでもあり、相変わらず繁盛しているようでもあり、曖昧な雰囲気だった。
さるほどに平成9年の10月末、東京の近県に取材に出かけることがあり、正午頃に取材先に着くと、つけ放しのテレビから、ちょうど火曜日のことで、月曜になるアメリカのウォール街の、株の暴落の報道が大きな音で流れている。そう言えばこの秋にいくつかの企業が破綻したのを、こんなことだったのかと思い合わせた。その暮れ方、取材を終えて新幹線の駅まで来ると、キヨスクに並んだ夕刊から、株の暴落の見出しの躍っている前を、出張の帰りらしいスーツ姿の人たちが新聞に目もくれず足速に通り過ぎていく。新幹線が走り出してしばらくして車内を見わしても、誰一人として、夕刊をひろげていない。
おそらく、出張先でも株の暴落の話で持ちきりで、おたくの会社は大丈夫ですかなどと言われて、もうウンザリしているのだろう、と思った。我が身の行く末を考えるにしても、新聞にわずらわされず、ひとりきりになったほうがよいのに違いない、と。そう思う私自身も、我が身の行く末を案ずるにしても材料がなく、いままで通り細々とやるよりほかはない、とつぶやくばかりだった。それからひと月後の、11月末の3連休の初日に、大手の証券会社の破綻が伝えられた。後に聞いたところによれば、おおかたの社員は休日の自宅のテレビでこのことを初めて知ったという。
どういう因縁だか、私は丈夫な人間なのだが時折り大病に捕まることがあり、それが世の変わり目と前後する。全世紀の末には眼をわずらって手術をくりかえることになり、その入院中に、ある破綻し瀕した企業の重役が心労の果てにか早朝に命を絶ったという報道があり、早朝に生涯の根気が尽きたかと暗然とさせられ、しかし、その朝の危機をどうにか紛らわして過ごしたなら年月はまた流れるのではないかとも思った。その10年後にはまた別の病気で入院を余儀なくされ、それも無事に済んで何年かした後、東日本大震災が起こった。大津波に寄せたのが3月11日の午後、東京の本所深川方面の大空襲が3月10日の未明、わずか1日違いだが66年の隔たりになると数えるうちに、平成も23年になったのかと驚いた。あれから8年が経ち、平成は尽きようとしている。

 

 

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