5月29日てんでんこ 被災ここにも「12」

朝日新聞2018年5月28日3面:10人に1人が消防団員。地震から2時間後、村民全員の無事が確認された。 震度6強の揺れが襲った2011年3月12日午前3時59分。長野県栄村の消防団長だった保坂良徳(62)は、自宅の2階の布団の中で揺れに気付いた。そばにあったタンスが倒れかかってきた。とっさに両手で押さえた。
同じ部屋にいた妻が「よし(良徳)が死んだ!」と声を上げた。タンスに押しつぶされたと思い込んだようだった。「俺は大丈夫だ」。そう言ってタンスを押し戻した。枕元に置いていた懐中電灯を手に、外れかけていた階段を下りた。1階の両親の無事を確認すると、消防団の法被を着て外に飛び出した。
前夜の消防団の懐疑で「明日は我が身と思うように」と言ったばかりだった。それでも「まさか」との思いは拭えなかった。ただ、頭は冷静だった。1次避難所に決められていた近所の広場に家族を誘導。地区の消防団員に「鉄砲水の可能性がある。川の水が減ったら知らせろ」などと指示し、5㌔ほど離れた村役場へ軽乗用車で向かった。途中、国道に続く橋が地面から30㌢ほど浮いていた。「この道、誰も通すんじゃねえぞ」。近くにいた消防団員に指示を出した。
「え、おら国道塞いじまっていいんかい?」と問い返す団員を「いい!」と一喝した。集落が点在する豪雪地帯の山あいの村で、消防団の存在は大きい。栄村の当時の人口は2330人。その10分の1にあたる234人が消防団に所属していた。保坂は、曽祖父の代から4代続けて団長に就いていた。「村全体が家族のようなもの。家族を守るのは義務だ。だから、入団も義務」。そんな意識があると保坂は解説する。
その消防団を中心に避難や安否確認の訓練を重ねてきたことが功を奏した。隣の新潟県で中越沖地震が起きた07年以降、より実際の災害に近づくように毎年内容を変えてきた。10年秋の訓練では、消防団は誘導も隊旗もせず、住民だけで動いてもらっていた。未明の暗闇のなか、住民は各集落ごとの1次避難所へと向かった。自宅から遠いために来られない人が出ないよう、「はってでも出てこられる」ように決めた場所だった。保坂が役場に着いたのは午前5時ごろ。その30分後には、各分団長から情報が上がってきた。午前6時、災害対策本部会議で報告した。「村民全員の安否確認が完了しました」。死者や重傷者はいなかった。
(鶴信吾)

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