5月28日 あの夏 1985年 PL学園×宇部商(決勝)

朝日新聞2018年5月22日17面:運命かKKの最後の挑戦者 今年で夏の選手権大会が第100回を迎える高校野球。いつの時代も。全国の球児が目標とするチーム、選手が存在してきた。1983年夏、「KKコンビ」の時代が幕を開けた。PL学園(大阪)のエース桑田真澄と4番清原和博。甲子園に出場可能な5回すべてをものにし、桑田は通算20勝、清原は13本塁打という金字塔を打ち立てた。2年にわたり、投打の両輪がこれだけ活躍した例は、後にも先にもない。衝撃的な甲子園デビューは1年夏。まだ15歳4カ月の桑田が快投を続け、16歳になったばかりの清原が決勝で本塁打を放って、頂点に立った。「すごいヤツやなあ。これが同じ1年生か?」宇部商(山口)の左腕投手、田上が抱いた感情は、全国の球児に共通する驚きだった。「清原の本塁打なんで、ライトに流し打ってラッキーゾーンですからね。とんでもない選手やった」
2年後の夏、同じ決勝の舞台で、田上らはKKコンビと相まみれることになる。今シリーズはその一戦に焦点を当てるが、宇部商はその前にも2度、PL学園と接点があった。まず85年春の選抜大会。2回戦で対戦し、2-6で敗れた。「悔しさより喜び。PLで試合ができた満足感が大きかった」と田上は振り返る。それではいけないと宇部商の玉国監督は感じたのだろう。練習試合を申し込み、6月、大阪府富田林市にあるPL学園のグランドに出向いた。一回表、「宇部商は三者三振だった」と主将の桂は記憶する。「あの時の桑田はとにかく速かった」と語るのは1番を打つ佐藤だ。外角低めの直球に見逃し三振。のちに日本高校野球選抜チームで一緒になった際、桑田自身も「あのころは絶好調だったからね」と笑っていたという。
ただ、一回裏に雨が強くなり、試合は中止となった。そこで宇部商は室内練習場を借りて打撃練習をさせてもらった。「清原が投手役をしてくれた」と記憶する選手もいる。練習が終わると、PL学園の中村かんとくが「せっかくだから交流しなさい」と言い、ホスト役として気遣いを見せたのが清原だった。
「すごくやさしい男でね。先頭に立って担当を割り振り、清原がぼくの担当になった」と田上。「おれの部屋に行くか」と誘われ、しばらく雑談をした。「清原は中森明菜のファンとか、そんなたわいのない話だったと思う」田上は大事なミッションがあった。同じクラスの女子に「サインをもらってきて」と頼まれていたのだ。桑田に声をかけると、「同じ高校生なのに?」と怪訝な顔をされた。「そんなこと言いなな。せっかく山口から来てくれたんやから」と、とりなしてくれたもの清原だった。色紙を探してきて選手全員のサインをもらってくれた。十数枚を宇部商の選手で分け合った。
桑田はサインをしたら、すぐ日課の走り込みに出かけていった。「今思えば、自分のスタイルを貫くのもすごいこと」と思う。ただ、このときの田上は、清原の人柄にひかれた。別れ際、「お前は俺の目標なんよ。夏にまた対戦しような」と伝えた。「だから、あれは運命やったと思う」と田上は言う。全国の球児が目標とする「KKコンビ」に対する最後の挑戦者になったことだ。「抑えるとか、打たれるとかやない。ぼくらにとっては清原と対戦することがステータスやったんです」田上は、しかし、どちらの経験もできなかった。

 

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