5月26日 先駆者ヒデキ

東京新聞2018年5月19日22面:海外でも注目も「時代ようやく追いついた」野外公演、マイクアクション、ペンライト‥  日本人ソロ歌手としては初の球場や武道館での公演、スタンドマイクを振り回すパフォーマンス、客席のペンライト‥。16日に63歳で亡くなった歌手の西城秀樹さんは「何でも一番先にやらないと意味がない」と話し、日本の音楽界に数々の新しい試みを取り入れた先駆者だった。その一端を紹介するとー。 (片山夏子)
1972年のデビューから2年後、西城さんは8枚目のシングル曲「薔薇の鎖」で、マイクスタンドを蹴り上げ、振り回すという派手な動きを取り入れた。「海外のミュージシャンのマイクアクションを取り入れようとしたが、鉄製のスタンドで重たくてできなかった。アルミ製のスタンドを特注したら、使いやすかった」。西城さんはこう振り返った。以降、このアクションは日本のロック歌手らに大きな影響を与えた。
この74年、西城さんは日本人ソロ歌手として初めて球場で公演する。場所は大阪球場(当時)。米国の大規模なロックフェスティバルの記録映画に感動し、「野外イベントを誰よりも早く日本でやりたかった。日本中が驚くステージをつくろう」と自ら企画。大型クレーンでつり上げられた地上40㍍のゴンドラから、観客席の上に舞い降りる演出を成功させた。大阪球場公演では、ペンライトによる応援も生まれた。海外でファンがライターをともす姿からヒントを得た。公演直前にラジオで「(火は危ないので)懐中電灯を持ってきて」と呼び掛けたことで始まった。
75年には日本人ソロ歌手としては初めて、日本武道館での公演を開催した。洋楽のカバーでも草分けだった。大ヒット曲「YOUNG MAN」は米国で耳にした「YMCA」に感動したのがきっかけ。「外国曲はヒットしない」という時代の常識を覆した。生前の2015年に対談した音楽評論家の伊藤政則氏は「西城さんは誰もやったことのないことをしたいと話していた。いち早く反応し、ただ取り入れるだけでなく、完全に自分のものにしてきた」と絶賛する。
伊藤さんは「沢田研二さんはミック・ジャガーに入れ込んでいたから、僕はロッド・スチュアートを目指した」と語った西城さんの少年のような表情が忘れられなと話す。「小さい時から洋楽にはまり、、ギターやドラムに親しんだことも大きい。彼の魂にはロックが宿っていた。歌謡曲の枠で語れない、飛び抜けた唯一無二の存在だった」 DJの吉沢dynamite・jpさんは「ここ数年、海外でも日本の1970~80年代の音楽が『和モノ』として注目されている」と説明する。「西城さんらの曲をフランスの人気DJが扱うなど注目されている。新御三家は評価が高い。欧米のダンス音楽に混ぜても違和感がない」
吉沢さんは、西城さんのシングルのB面曲などを聴き直して驚いたと話す。「洋楽的な要素が入り、ジャズロックやファンクに近い曲もある。これほど格好いいことをしていたのかと。いまに通用する音というより、時代がやっと西城さんに追いついたのでは」

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