5月25日てんでんこ 被災ここにも「10」

朝日新聞2018年5月19日3面:「100年、200年先に津波の怖さ伝える」。震災の記憶を形あるものに。 千葉県旭市椎名内。海岸から約1㌔内陸の田園地帯の一角に先月、築山のある公園ができた。山の高さは7㍍。海面からは13㍍になり、津波の危険が迫ったときは頂上の広場に500人が避難できる。市内で最も津波被害がひどかった飯岡地域の中心部からは約5㌔西に離れているが、この地区でも津波による犠牲者が出た。一帯に高い建物がないことから、市が2億8千万円余りをかけて整備した。市長の明智忠直(75)は「100年、200年先も残って、津波の怖さを伝えてくれると思う」と話す。
東日本大震災を起こした巨大地震の震源域は東北沖から茨城県沖までだった。残された隣の千葉県沖でも同じようにプレートが沈み込み、再び高い津波に襲われるこそれがある。旭市は最大10㍍の津波を想定した避難計画を作った。2014年末までに海岸部4カ所の避難タワーが完成し、海岸堤防の6㍍へのかさ上げ工事も終わった。震災後の復興に向けた動きは、被害が桁違いだった東北の被災地に比べれば早かった。
津波は市内の海岸全域に及んだが、浸水は大半の地区で堤防から300㍍ほど内側までにとどまった。市は道路のがれき撤去を最優先に進め、「だいたい1週間で路地まで含め全部通れるようにした」と明智は胸を張る。その後に定めた125事業の復興計画は、震災5年後の16年時点で93%以上が完了または順調とされた。ただ、内陸への避難道路は用地買収が遅れ、県による川の開口部への水門設置も残っている。明智は「それらができれば、復興の完成かなと思う」という。
海沿いに空き地は目立つものの、目に見える津波の痕跡はほとんど残っていない。「記憶の風化は仕方がないが、公園や道路の形あるインフラとして整備すれば、大震災があって造られたんだと後世に受け継がれていくのではなないか」。小中学生への防災教育や住民の避難訓練と併せ、教訓や備えをどう継承するか。その課題を明智は何度も口にした。
巨大地震の影響は広範囲に及ぶ。旭市は三陸沖の震源から300㌔以上離れていた。被害を大きくしたのは、最初の揺れから2時間半が過ぎて到着した津波の第3波だった。さらに10時間後、日付が変わってから別の思わぬ被害がに見舞われた場所があった。(福田祥史、佐々木英輔)

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