5月22日てんでんこ 震災ここにも「6」

朝日新聞2018年5月15日3面:津波が高くなるのは飯岡の宿命。先人の危機感は受け継がれてこなかった。 津波で大きな被害を受けた千葉県旭市の飯岡地域を東京大地震研究所の准教授だった都司嘉宜(70)が訪れたのは、2011年3月17日だった。前日、房総半島の先端から津波の高さを調べ始め、沿岸を北上してきた。
破壊された数々の家が目に入ってきた。2階まで壊れている家もあった。「ひどいことが起きている。ここが最大の被災地に近いのでは」。そう思うほどだった。1993年の北海道南西沖地震の奥尻島や83年の日本海中部地震の秋田県の津波被害と重なって見えた。破滅的被害を受けた東北地方はまだ調査に入れる状況ではなかった。都司は1年前にもここを訪れていた。2010年2月にチリで起きた地震の津波を調べると、周りの地域より高かった。1960年のチリ津波でも同様だった。これは、付近の海底地形が影響しているという。沖合に突き出た尾根のような高まりが、レンズのように津波を集まる。高くなるのは飯岡地域の宿命だった。
東日本大震災で地震から2時間半後の第3波が大きかったのは、南北500㌔に及んだ震源域が関係するという。第1波は地区の茨城沖で起きた波。海底が大きくずれ動いた東北沖からの波は遅れて届いたとみられる。「第1波が来ても数時間は終わったと思ってはいけない。より大きい津波が来ることもある」と都司は警告する。第3波に巻き込まれた仲條富夫(70)はその年の8月、仲間数人と語り部の活動を始めた。自戒を込めて「早めの避難、逃げたら何があっても戻らない」といつも話す。飯岡地域は昔からたびたび津波に襲われてきた。地元の福蔵寺に残る文書には、1703年の元禄地震の津波で70人余りが死亡、家や船が全て流されたとある。浅間神社の碑は、江戸時代に「頻々たる津波の被害を苦慮し」神社を創建したと刻み、東日本大震災の2年前にも同じ内容で新調された。だが、危機感は受け継がれてこなかったと、仲條はいう。語り部になったのは「記録に残すので話を聞かせてほしい」と知人に頼まれたのがきっかけだった。聞き取り調査を始めていた渡辺昌子(71)だった。 (福田祥史、佐々木英輔)

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