5月23日 甲子園ベストゲーム47 栃木

朝日新聞2018年5月15日20面:怪物江川 雨に散る 午後1時24分に始まった作新学院ー銚子商(千葉)戦のスコアボードには、「0」が連なっていた。1973年8月16日木曜日。5万6千人で埋まった甲子園は、八回をすぎて、雨が降り出していた。選手が主役なら、時間の経過とともに強まっていた雨は、名脇役として試合を動かしていく。雨が「怪物」と呼ばれた江川卓を翻弄しただけではなかった。
過熱する周囲 全国で招待試合 練習不足に不安 江川は第55回大会の目玉だった。春の選抜大会で4強入り。球が浮き上がるような豪速球で60個の三振を奪い、大会記録を塗り替えた。夏の栃木県大会は5試合を被安打2で勝ち上がった。3試合はノーヒットノーランだ。周囲の期待とは裏腹に、捕手の亀岡(旧姓小倉)偉民は開幕前から不安を募らせていた。「甲子園入りしたときからボールが(高めに)浮き気味だった。春から夏にかけて基礎練習ができず、徹底的に鍛えることができないまま、夏を迎えていた」選抜大会以降、全国から招待試合に呼ばれた。九州、沖縄、北陸‥。週末、遠征に出ると、月曜日の授業に間に合わせるために夜行列車で栃木へ戻ることもあった。もうひとつ、チームに影を落としていたのが、江川を擁するがゆえの周囲の過熱ぶりだった。
どんな試合でも、メディアは打った野手ではなく、江川を囲んだ。栃木大会のチーム打率は2割4厘。「打っても評価されないから、みんなおかしくなっていった」。江川と野手の間に立っていた亀岡は振り返る。落ち着かないまま迎えた全国大会で、柳川商(福岡)との1回戦は延長十五回の末に2-1のサヨナラ勝ち。
銚子商戦の劇的なサヨナラ負けの前に、江川の心を激しく揺さぶるピンチがあった。十回裏、雨は激しくなっていた。二つの四球などで2死一、二塁。許した右前安打を右翼手がこぼす。江川は「終わった」と思った。捕手の亀岡はいちかばちかのプレーに出た。走者の本塁ベース到達を遅らせるために、ライン際に本塁ベースから三塁側へ3歩離れた。走者は足元に突っ込みタッチアウト。走者に雨で本塁が見えなかったかは分からない。亀岡が思ったのは「これで勝てる。流れは完全にこちらにある」。一方、江川の心境は「えっ、まだやらなきゃいけないの」だった。
「好きな球投げろ」最後の1球でチームが一つに 十二回表、作新学院の攻撃は無得点。どしゃ降りの雨のなか、大会本部はこの回での打ち切りを検討していた。十二回裏、フルカウント。マウンドに集めた野手に、江川は「真っすぐを力いっぱい投げろ。お前がいたらか、おれたちここまで来られたんだろ」。一塁手の鈴木秀男から返ってきた言葉だ。「あの瞬間、勝とうというよりも、全員がこの野球を最後までやろうという気持だった。それまではいがみあいとか、いろいろあった。最後の1球でチームがまとまったというのはその通りかもしれない」その169球目を受けた亀岡がいまだに感じるのは、悔しさではなく、すがすがしさだ。雨の中、怪物と作新学院は散った。押し出しの四球になった直球は雨で滑っているように見えるが、江川はこう振り返っている。「その時は滑ったという感覚はなかった。あの球は高校時代で最高の一球だった」
地元っ子束ねた作新Vに刺激 いまも2年前の興奮と熱が冷めていない。98回大会で作新学院が54年ぶり2度目の全国制覇を遂げた。監督・小針崇宏のもと、エース今井達也=西武=ら県内出身者を束ねた優勝に、県高野連事務局長の阿部司は「作新にできるなら、自分たちもにできるという空気が広がった。作新の優勝が他校に勇気を与えている」と話す。栃木の野球界は、小中学校年代では軟式、硬式はもちろん、強豪といえる企業チームはないに等しく、大学も強豪は数えるほどだ。硬式野球に親しんだ中学生のかつては約30%、現在でも約15%が県外の強豪校へと流出している。
栃木大会で7連覇中の作新学院を含め、どこも県内出身者でチームを組む。阿部は「地産地消とでもいうのか。地元に残ってくれた中学生の、しかも県内2、3潘手の子どもたちが甲子園で結果を出した。作新がひとつのモデルになった」と、その効果を語る。ここ30年を振り返ると、10年ほど前までは公立校も含めた戦国時代が続いていた。一方で、全国大会では1997年の佐野日大のベスト8が目立つ程度で、あとは1,2回戦止まりがほとんどだった。
もっともこの間もプロで活躍する選手は輩出していた。80年代後半投げ合った宇都宮南の高村祐=ソフトバンクコーチ=と作新学院の落合英二=元ロッテコーチ=、この1学年下には足利工の石井忠徳(琢朗)=ヤクルトコーチ=、宇都宮学園(現在の文星芸大付)の真中満=元ヤクルト監督=と高嶋徹=元近鉄=、さらにその1学年下に佐野日大の麦倉洋一=元阪神=がいた。麦倉は昨年から監督で母校に戻った。
高校卒業後、大学や社会人で力をつけた選手には、国学院栃木の渡辺俊介=元ロッテ=、佐野日大の沢村拓一=巨人=らもいる。戦国時代に終止符を打った作新学院は、OBで若き監督の小針の存在が大きい。小針は06年に23歳で監督に就くと、09年に31年ぶりに夏の甲子園に出場。それまでの投手力を中心に守り勝つ栃木の高校野球に打撃力を持ち込み、練習の効率化を進めた。小針を母校に呼んだ作新学院部長の岩嶋敬一は「単純な反復練習を見直し、新しい感覚で指導を毎年変化させ続けている」という。県内全体の底上げには、地道な改革も影響している。10年に新設された1年生大会は毎年10~11月に開催。1年生だけによるチームづくりの経験が、選抜大会出場のかかる1年後の秋の大会につながる。また、県高野連が主体となり、小学生からの指導者交流も進めている。これらの取り組みは、地元の子どもを自前で育てて全国に挑む、という県内のィツ体幹が後押ししている。(潮智史)

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