5月2日 白球の世紀77

朝日新聞2018年4月27日夕刊14面:猛烈ライナー右手直撃 阪急投手の今西錬太郎(93)は1949(昭和24)年4月2日、初の開幕投手を務めた。相手の大陽打線を5安打に抑え、3-1で勝ち投手になった。この年、今西は、7月末まで12勝9敗と勝ち星が先行した。しかし、その後は負けが込み、19勝19敗でシーズンを終えた。
46年のデビュー以来、今西の投球回数は、驚くほどの数字にのぼっていた。46年7勝183回 47年21勝334回3/1  48年23勝331回3/2  49年19勝315回3/2 当時は先発・完投が当たり前で、年間400回を超える投手も珍しくもなかった。しかし、今西のように3年連続で300回以上投げた投手は、まれだった。昨年のプロ野球投手の最多投球回数は190回を下回る。小柄な今西は、悲壮感さえ漂わせながら、気迫の塊となって連日のように投げ続けた。
プロ野球は50年、セントラルとパシフィックの2リーグ制に移行した。今西は、新たに発足した太陽に移籍した。この年の3月10日、山口県の下関球場での開幕戦で、今西は国鉄を2安打完封。上々のスタートを切った。ところが、5月17日、思わぬ事故が起こる。同球場での松竹戦、今西は3-3の七回から救援でマウンドに上がり、八回、3番小鶴誠を打席に迎えた。
カーンと乾いた音を残して猛烈なライナーが、今西の正面、みぞおち辺りを襲った。反射的に出した右手のひら、親指の付け根を打球は直撃した。小鶴は打席から動かず、今西の方を見ていた。今西はグランドに落ちた球を右手でつかんで投げようとした。とこが、腕が上がらない。棒で殴られたような痛みが走った。
グラブを脱ぎ、左手で球を拾った。それを見て小鶴が走り出した。今西は左手で一塁に送球。アウトをとって降板した。病院で診てもらうと、骨に異常はなかったが、打撲で内出血していた。のちに今西は後遺症に悩まされる。(上丸洋一)

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