5月18日 甲子園ベストゲーム富山

朝日新聞2018年5月11日14面:完敗寸前 旋風再び 九回5点差敵失からの同点劇球場に「イヤサー」 高校野球ファンが、新湊(富山)と聞いて思い浮かべるのは、1986年の選抜大会。強豪をなぎ倒して4強進出した「新湊旋風」だろう。ただ、夏は80、86、97年と初戦敗退。99年の1回戦も、小松(石川)の本格派・竹田純に、八回まで散発2安打と抑えられ、九回の攻撃を迎えた。その差は5点。先頭の5番八嶋公太が敵失で出塁したものの、次打者は打ち損じの投ゴロ。万事休すーと思われた。
ところが、である。「相手が試合を早く終わらせたがっているように見えた」と、OBでもある森義人監督。ゴロを捕った小松の竹田が、際どいタイミングながら二塁へ送球し、球が逸れた。カバーもなぜか緩慢で、あわや併殺の状況が一転。想像だにせぬ形で、無死一、三塁の好機が転がり込んできた。
新湊が避けたかったのは、アウトを一つずつ取られて逃げ切られる展開だった。それが、7番織田直樹の二塁打で1点をかえすと、暴投で2人目の走者も生還。新湊のうねりは、勝利を目前に浮足立つ小松をのみ込んでいった。
新湊の地元は人口約3万5千人の漁師町。熱狂的な「新高ファン」も多く、点が入れば、アルプス席では地元の曳山まつの「イヤサー、イヤサー」というかけ声とともに、無数の青いはたきが揺れるお祭り騒ぎだ。攻勢に転じたベンチでは、記録員の海老克昌が隣の選手との会話もままならない。応援団の迫力が増していくのを感じたという。「自分の中で、同じ勝でも、完封と完投の間にすごく隔たりがあった」。そんな竹田の消沈ぶりを見透かしたかのように、新湊はたたみかける。8番以降も連打で続き、1死三塁の絶好機で、「まさか自分まで回ってくるとは思わなかった」という2番浅井亮太が打席に入った。
浅井は身長171㌢で非力なタイプ。確実に追いつくならスクイズが定石だ。だが、森の強気なサインの出し方を見て、バットを寝かせる必要は無いと覚悟を決めた。この打席で5球目にフォークをカットし、竹田がそれを投げる際の癖を見抜いた。続く6球目。狙いは正しかった。落ちきらないフォークをとらえると、ライナー性の打球が中前へ抜け、試合は振り出しに戻った。
八回裏の新湊のまずい守備も、結果的に同点劇の呼び水になった。小松の先頭打者・竹田が飛ばした打球に、左翼手が頭から飛び込んで後逸し、三塁打となった。小松にとっては貴重な2点につながったが、それまでに138球投げていた竹田には全力疾走がきつかった。九回のマウンドは疲労の色が濃かった。
隣県対決 絶対に負けたくない 歓声「自らに点火」 隣県の富山と石川の代表が、甲子園で顔を合わせるのは春夏通じて初。甲子園での戦績は負けたくない意地があった。抽選会で対戦が決まった時のこと。すぐ近くに座る小松の選手がガッツポーズをする姿がまぶたに焼き付いていた。
新湊の九回の攻撃は同点止まり。だが、小松打線は、新湊の2番手釣洋平の球にタイミングが合わず。竹田の球威も落ちてていた。新湊の稲井誠は「この流れならいけると確信した」という。十一回。四球を契機に無死二、三塁とし、竹田を降板させると、稲井が2人を迎え入れる中前安打。一挙4得点し、大逆転劇を完成させた。86年の選抜初戦で享栄(愛知)を破った時に似た天候。新湊が「吉兆」とする雨が時折落ちる中での3時間6分だった。
高校野球好きだった作詞家の故阿久悠が、著書「甲子園の詩 敗れざる君たちへ」で、この試合をつづっている。「たった一球のボールを 取り返しのつかない失敗に思わせる 歓声の催眠術 恐るべし 恐るべし しかし それらを自らに点火させて 奇跡を演じた選手諸君 また 恐るべしであろう」硬式未経験者ばかりで、富山大会の優勝候補に挙がることも稀。そんな公立校の名が、「旋風」「ミラクル」といった形容詞を伴い、全国のファンに知れ渡るわけである。
顕著な「打低」まだ見ぬ4強 始まりは19世紀末。富山中(現富山)が、神通川の河原で開いた大会が、県内初の野球の試合だったとされる。全国選手権には2回大会(1916年)から参加したが、23回大会(37年)で高岡商が初出場するまで、甲子園は遠かった。高岡商は県勢最多の出場18回。土肥健二=元ロッテ=、紺田敏正=日本ハム2軍コーチ=らが輩出した。「最強の代」として県民の記憶に残るのが、OBの伊東与二監督が率いた69回大会(87年)のチーム。春夏連覇したPL学園(大阪)には敗れたが、2年生投手の尾山敦=元西武=を擁し、進藤達哉=DeNAゼネラルマネージャー補佐兼編成部長=の足が光った。
その高岡商とともにリードするるが富山商だ。夏の甲子園は16回出場。投打のバランスが取れたチームの礎は、明大出身の武内富士夫監督が会社経営の傍ら築いた。OBには、76年に太平洋でパ・リーグ首位打者に輝いた吉岡悟、71回大会(89年)で県勢21年ぶりの本塁打を放った浅井樹=広島3軍コーチ。中沢雅人=ヤクルト=や、96回大会(2014年)で3回戦進出の原動力になった森田駿哉=法大=ら好投手が多いのも特徴だ。
高岡商と富山商はともに県立。60回大会(78年)から1県1代表になったことで、「県内さえ制すれば甲子園」という機運が広まり、石動、桜井、新湊、高岡第一と、4年連続で初出場校が生まれた。県内に強豪私学はなく、70~80年代には富山地区に普通科の公立が増え、有望選手はより分散する傾向に。全国選手権で勝率3割1分は、47都道府県中46番目。70回大会(88年)からは10年連続で初戦敗退し、「『野球に打ち込むくらいなら勉強に時間を割け』と言われるほど、『教育熱心』な県民性。それが甲子園で勝てない理由」と、不満をもらす指導者は少なくない。夏の甲子園で県勢が放った本塁打は通算9本と、「打低」が顕著だ。86年の選抜大会で、初夏通じて県勢初の4強入りした新湊も、エースの酒井盛政を中心に接戦に強いチームだった。プロで活躍するのも投手が目立つ。新湊の西野勇士や、滑川出身で新人王(2014年)と最優秀防御率賞(16年)を取った石川歩=ともにロッテ。高岡第一は00年の選抜大会に出場した高橋聡文=阪神=と、草野球を経てプロ入りした田畑一也=ヤクルトコーチ=を生んだ。ただ、そんな情勢も変わっりつつある。95回大会(13年)で、初出場で8強入りした私立の富山第一は攻撃的な姿勢を貫いた。村椿輝雄の快投で、「しんきろう旋風」を起こした40回大会(1958年)の魚津を含め、準々決勝に進むこと6度。一度も越えられなかったその壁を、最初に破るのはどこかー。(富山正浩)

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