5月17日 白球の世紀84

朝日新聞2018年5月11日夕刊14面:ついに夏の甲子園へ 「こりゃ速い。どうやったらバットに当たるんだ・・」佼成学園の2番打者、土屋(旧姓・戸井田)恵三(64)は1球目の速球を見送って胸の内でつぶやいた。
1972(昭和47)年8月3日、第54回全国高校野球選手権大会の東京大会決勝。マウンドには春の選抜大会優勝校、日大桜丘のエース仲根正広がいた。191㌢の長身から投げ下ろす速球は超高校級といわれた。左打者の土屋は第1打席、バットを寝かせた独特のフォームから遊撃手の後ろに落ちる安打を放つ。第2打席は凡退。第3打席は三遊間をライナーで破る適時打。第4打席は三塁前にバント安打を決めた。
土屋は高校最後のこの大会で初めて、正左翼手の背番号7をもらった。特に俊足でも強肩でもないが、バントがうまく、粘り強い打撃をした。監督の今西錬太郎(93)は一見、目立たない努力型の選手を鍛えてレギュラーにすえた。54回大会で仲根から3安打を放った選手は土屋だけだった。
決勝で佼成学園は1-5で敗れ、甲子園には届かなかった。「負けて泣くな、勝って泣け」と今西は選手に声をかけた。東京大会は2年後の74年夏から東東京と西東京に分かれた。西東京の佼成学園は再び決勝に進出し、堀越と対戦した。一回表、堀越の先頭打者が佼成学園の軟投派エース中山清(61)の第1球を強振。試合開始のサイレンが鳴りやまぬうちに強烈なライナーが三塁線を襲った。次の瞬間、三塁手が横っ飛びにジャンプ、打球はグラブに収まった。少しでもそれていたら長打になるところだった。球運も味方して、中山は堀越を6-0で完封した。
悲願の優勝を果たした当時の49歳の今西は記者にこう語った。「ウチみたいなヘタクソなチームは、とても優勝できないと思っていたが、一戦一戦よくなってきました。初めての(夏の)甲子園です。すごくうれしい」
(7月29日付朝日新聞)(上丸洋一)

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