5月16日てんでんこ 被災ここにも「4」

朝日新聞2018年5月11日3面:避難で頼った500㍍内陸の親戚宅。海辺の惨状は伝わっていなかった。 東日本大震災の大津波が東北地方に壊滅的な被害をもたらしたのは、午後2時46分の地震発生の数十分から1時間ほど後だった。第3波が最大だった千葉県旭市でも、午後3時40分すぎの第1波から被害は出ていた。西部の海岸では、4人が乗って警戒出動中だった大型消防車が横倒しになり、10㍍以上流された。指揮を執っていた小林康(41)は波を受ける直前、約5㍍東の飯岡地域の海岸に津波が到達するのを見た。そんでもない高さまで水しぶきが上がった。「市内は全部のまれた」。そう思ったほどだった。
割れた窓から脱出し、腰まで水につかりながら必死の思いで道路にたどり着くと、意外な光景が広がっていた。路面は乾き、普段と変わらない。津波の痕跡は何もなかった。東部の飯岡魚港では、多数の漁船や車が流され、漁協の建物のシャッターやガラスが壊れた。ただ、第2波の後に港を眺めた仲條富夫(70)は、被害に気づいていなかった。任務に復帰した小林は午後7時半前、仲條宅に到着した。最大の第3波で倒壊した平屋に閉じ込めた仲條の母イチが、ベッドに仰向けのまま救助を待っていた。落ちてきた建物のはりが胸に触れ、とがった垂木の先端が顔に突き刺さる寸前だった。幸い、はりの重みはイチにはかかっていなかった。
普段なら5分以内で助け出せる状況だったが、津波来襲の恐れが伝わるたびに退避を命じられ、なかなか進まなかった。退避が解除されて現場に戻ると、周囲に新たな海水がたまっていた。津波は続いていたようだった。第3波に流されながらも自宅に戻った仲條はイチを残していけないと非難を渋り、2階で布団にくるまっていた。外に出るのも嫌で、じっとしていれば危険が去ると思いたかった。「また津波が来たらどうするんだ」と長男の秀和(35)が怒った。様子を見に来た近所の宮野佐一(65)にも「そんなことしてたら、だめだ」と諭され、ようやく起き上がった。
500㍍ほど内陸の親戚宅に着いたのは、午後8時ごろだった。出迎えた家人は仲條らの着の身着のままの姿を見て、けげんそうに言った。「どうしたの?」。海辺の惨状は伝わっていなかった。イチの救助が完了したのは午後8時44分。3年後、再建された自宅で家族にみとられ、90歳の人生を終えた。(福田祥史)

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