5月16日 白球の世紀83

朝日新聞2018年5月10日夕刊8面:因縁の男との再会 佼成学園(東京)の野球部寮が学校近くに完成したのは1962(昭和37)年秋だった。今西錬太郎(93)は、その後二十数年間、ここで生徒たちと暮らした。寮は1階に今西と家族の居室、炊事場、風呂など。2階に生徒の居室5室があり、それぞれ3~5人が寝起きした。今西は妻の千鶴子とともに朝5時に起き、生徒の朝食と昼の弁当を作った。夕食は、練習から帰った生徒が、千鶴子に教えてもらいながら調理した。ギョウザやハンバーグなどの作り方を生徒たちはここで覚えた。
68年秋、阪神のスカウト、小鶴誠が佼成学園を訪れた。その際、小鶴はこの寮に立ち寄り、今西と久しぶりの再会を果たした。50年5月、大洋の投手だった今西は、小鶴が放ったライナーを右手に受けて負傷。その後、思うように投げれなくなった(連載第77,78回)。小鶴が言った。「今西さんの選手生命をとりあげてしまい、申し訳ありませんでした。ずっと気になっておりました」 今西「何をおっしゃいますが、小鶴さん。お陰で私はこうして高校の監督として野球をやらせてもらっています」 小鶴「そういっていただいて、ほっとしました」 70年3月、「人類の進歩と調和」をテーマとする大阪万博が始まった。半年間の会期中、6422万人が入場した。この間の7月18日、東京都杉並区にある高校の女生徒数十人が屋外で活動中、吐き気などを訴えて倒れ病院に運ばれた。原因は光化学スモッグだった。佼成学園のグラウンドは、この高校から1㌔余りのところにあり、野球部はその日も、いつものように練習をした。
当時、野球部員だった土屋(旧姓・戸井田)恵三(64)は「息を吸い込むことができなくて、苦しかったですね」と振り返る。光化学スモッグはその後も繰り返し都内で発生した。2年後の72年夏、佼成学園は初めて、東京大会の決勝に進出した。(上丸洋一)

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る