5月16日 ダービー「1」

朝日新聞2019年5月13日夕刊7面:名物レースいつから始まった? 競馬の日本ダービーが26日に迫った。サラブレッド3歳の王者を決める祭典は、本場の英国ダービーをお手本に始まった。1780年に始まった英国ダービーは2度の世界大戦の間も一度も中止もなく、今年で240回目を迎える。辻としては新らしいタイプのレースだった。それまでの競馬といえば、2頭が4千~5千㍍あまりの長い距離を走り、どちらかが2回勝つまで走る「ヒート競争」が主流だった。現代のように複数の馬が同時に短い距離を走り、優勝を目指す形になったのが18世紀後半だった。第1回は9頭立てで争われた英国ダービーは、新しいスタイルの競馬を象徴するレースになった。創設当初はあまり注目されなかった英国ダービーだが、優勝馬が引退後に優秀な種牡馬となっていたことで、19世紀に入ると競馬界での重要性を増していった。開催地のエプソム競馬場がロンドンから約20㌔しか離れていないという地の利もあり、観客も増えた。ダービー方式は欧州を中心に受け入れられ、世界中に広がっていった。英国ダービーから遅れること90年にケンタッキー・ダービーが始まり、そこから約60年後に日本ダービーがスタートした。
「ダービー」の名称は人名だ。第12代ダービー卿エドワード・スミス・スタンレーという競馬の良き理解者がいた。自らの結婚を記念し、3歳牝馬(メス馬)による英国オークスを創設したのもこの人だ。オークスを始めた翌年に、ダービーを始めた。レース名を決める際の逸話が残されている。ダービー卿は仲の良かったバンバリー卿とコイン投げをしてレース名を決めたという。この時のコインの表と裏が逆だったら、日本ダービーは「日本バンベリー」だったかもしれない。サッカーで同じ地区のチームが対戦する試合をダービーマッチと呼ぶが、これはイングランドの地名のダービーから来た言葉とされている。
日本ダービーは正式な名称を「東京優駿」という。創設の2年前、主催者の東京競馬倶楽部は競走馬のレベルアップなどを目標にした「東京優駿大競争編成趣意書」を発表した。当時としては破格の1着賞金1万円などが注目され、競馬関係者の誰もがあこがれる名物レースとなった。ダービーは3歳しか出走することができない点が大きな特徴だ。皐月賞、日本ダービー、菊花賞と続く3冠レースはいずれも3歳限定だ。有馬記念や天皇賞と違い、1頭のサラブレッドにとって、一生に一度しか優勝のチャンスはない。1932年4月24日、目黒競馬場(東京都目黒区)で行われた第1回の日本ダービー(東京優駿大競争)で優勝したのはワカタカだった。雨にぬれた不良馬場の中、ライバル18頭を寄せつけず、スタートからゴールまで逃げ切った。レースの模様はNHKラジオで全国に中継された。(有吉正徳)

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る