5月15日 人生の贈りもの 役者 樹木希林③

朝日新聞2018年5月10日31面:他人と比較しないこと覚えた 私の雑司谷小学校時代を知っている人たちは「あの子が女優? まさかね」と、さぞ驚いたことと思います。だって、多くの人は私の声も聞いたことがないんですよ。いつも懐手をして、ほとんど口を利かない子だったんです。
《樹木さんは東京・雑司が谷で育った。父は琵琶奏者。母は居酒屋を切り盛りして、一家の生活を支えていた》 学校では、みんながいるところから、少し隙間を空けて立っている子でした。端っこから、周囲の人間をよく見ていました。親は何も言わなかった。放任主義ではなく、忙しくて子供にかまっていられなかっただけ。おかげで、気兼ねせずに過ごせました。
私は何だかモサーッとしていて、運動会でもいつもビリでした。だから6年生の水泳大会ではクロールや平泳ぎじゃなく、「歩き競争」というのに出たの。そんな種目に出る上級生は私だけ。あとは小さな低学年の子たちでした。そんなわけでタッタタッタと歩いていたら、あっという間にゴールして1等賞になっちゃった。そしてら、賞品がね、他の種目と同じなのよ。周りの6年生が「なんだ、こいつ。ずるい」と不平を言ってるのが聞こえました。たぶんこの時、他人と比較しても意味がない、ということを覚えたんだと思う。それは今も続いています。
中学で私立の千代田女学園に進みました。この頃から普通に口を利くようになって、いつのまにかケンカっ早くて生意気な人間になっていたんですよ。黙っている間に、たっぷりためこんでいたのかもしれませんね。進路を決める時期に父親が「お前のような子は結婚してもすぐケンカして別れてしまうだろう」と言って「薬科大に行け」と勧めたんです。「薬屋の一軒なら俺が出してやる」」と。親はやっぱりよく見てるわ(笑)。
その頃までは、女優になる気なんか全くなかったわね。まあ、数学の成績がひどかったから、薬科大を受けても落ちていたとは思うけど、私はある理由で大学を受験することが出来なくなったんです。
(聞き手 編集委員・石飛徳樹)

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