5月15日 コンビニ24hの裏で「上」

東京新聞2019年5月12日1面:月500時間 店主限界「命削る営業 社会のインフラなのか」 人通りのない真っ暗な住宅街に、見慣れたオレンジと緑の看板が輝く。中部地方の小規模市郊外にあるコンビニ「セブンーイレブン」加盟店。毎晩、一人で夜勤をこなすのは40台の男性店主だ。1カ月の勤務時間は500時間。労働基準監督署に駆け込むと「経営者は関係ない」と相手にされなかった。夫婦で勤務する日は、6歳の長男と4歳の長女にスマートフォンを渡し、事務所でゲームや動画観賞させる。床には2人がこぼしたチョコレートがにじむ。長女がインフルエンザにかかった時はベッド代わりに椅子を並べた。「もう虐待と変わらない。子どもための時間が欲しい」。関東のテーマパークに日帰り旅行した際の家族写真を見ながら、男性はうなだれた。
店は2012年にオープンし、しばらくは好調だった。従業員も今の倍の20人ほどで、男性の夜勤は週に1回だけで済んだ。しかし5年目の秋、近くにファミリーマートができ、さらに商圏内に”身内”のセブンが出店すると、競争の激化で売り上げが激減。従業員候補の学生や主婦、フリーターが取り合いとなり、応募は絶えた。3月下旬の月曜日。未明の3時間で訪れた客は10人、売り上げは6千円弱だった。人を雇えば赤字だ。最近、頻繁に高熱が出るようになった男性は訴える。「命を削って店を開け続けることが社会インフラなのか」 店主の限界は各種統計からも浮かび上がる。セブンーイレブン・ジャパン(セブン本部)は、11年度から17年度まで毎年、店舗を約千店ずつ増やした。同じ7年間で人手不足も進み、国内の有効求人倍率は0.56倍から1.54倍に。最低賃金は全国加重平均で730円から848円に跳ね上がった。コンビニ問題に詳しい早稲田大の川辺信雄名誉教授(経営史)は「店主の気質も変化した」と分析する。新規出店で集まった店主の多くは会社を辞めた「脱サラ組」。商人魂が強く、店舗の土地や本社の株式を持つかつての「転業組」と比べ、経営知識、資産や精神的な余裕がない世代という。
「脱サラ組が『もうかると言われたのにもうからない』と不満を持っている」と川辺名誉教授は現状を明かす。セブン本部に対しては「加盟店との共存共栄という理念を忘れ、現場の声を吸い上げていない」と指摘。人手不足の負担を本部で賄うか、営業時間を見直すよう求めている。
昨年、豪雪下の福井県内のセブン加盟店で店主が過労で倒れても一時休業が認められなかった問題が注目を集めた。今年2月、大阪府のセブン加盟店が独自に時短営業を始めたことで問題は再燃した。24時間営業問題はコンビニ各社の対応と行政の介入で収束しつつあるが、一部店主の怒りは収まっていない。特殊なフランチャイズ契約と会計システムに縛られ、圧倒的に優位な本部におびえてきた加盟店の実態に迫る。(この連載は、福井報道部・梶山佑が担当します)
「飽和論」一転 震災後に出店増 1974年、セブンーイレブンの国内1号店として東京都江東区に「豊洲店」が開店すると、コンビニは若者や単身者の「冷蔵庫代わり」としてヒット。日本フランチャイズチェーン協会によると、国内のコンビニ店舗数は88年度に1万、96年度には3万を超えた。個人商店は次々と看板を付け替えた。しかし、21世紀に入ると一転、店舗数は伸び悩んだ。「コンビニ飽和論」がささやかれると、各社はサービスの多様化を模索。収納代行や宅配窓口を担い、現金自動支払機(ATM)を導入したほか、自治体と防災協定を結んだ。
コンビニ復活を決定付けたのは、2011年3月の東日本大震災だっと川辺名誉教授は分析する。「災害時でも開いていたことが地域の人に安心感を与えた」。便利さを極めたコンビニは高齢者を含む全世代に受け入れられ、特にセブンーイレブンは積極的に出店。飽和論を突破したとされた。
コンビニの24時間営業を巡る問題 大阪府東大阪市のセブンーイレブン加盟店が2月、独自に時短営業を始めたことで表面化した。セブン本部は批判を受け、24時間営業を見直すための時短実験を直営店と加盟店で開始。公正取引委員会は、24時間営業の不当な強要を独禁法を適用する可能性を示した。世耕弘成経済産業相の要請を受け、コンビニ各社は4月25日に行動計画を公表。セブン本部は、加盟店への支援充実や出店基準の厳格化を図るとし、永松文彦社長は「(営業時間短縮の)最終判断は店主に委ねる」と述べた。

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

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