5月13日てんでんこ 被災ここにも「2」

朝日新聞2018年5月9日3面:地震から2時間半後に流された夫。「早く!」。叫ぶ妻と息子の前で姿は消えた。 「港に水がないよ」。2011年3月11日。千葉県旭市の飯岡地域に午後4時20分ごろ到来した津波の第2波の後、自転車で町の様子を見に出た仲條富夫(70)が異変を知ったのは、飯岡漁港を見下ろす空き地に差しかかった時だった。先に来ていた近くの寺の住職、宮久地照健(68)がそう教えてくれた。
飯岡地域は、太平洋に突き出た房総半島の外洋側にのびる九十九里浜の北端に位置する。イワシやハマグリなどの魚業と、海水欲やサーフィン、釣り船などの観光で知られる。海岸部を中心に当時は1万人余りが暮らしていた。魚港は町のシンボルでもあった。港に目をやって仲條は仰天した。海底が見えるほど水が引き、漁船が座礁したようになっていた。「大波が来る」と直感した。
似た光景を目にしたことがあった。中学1年生だった1960年5月、「水が引いて魚がいるぞ」という大人たちの声を聞き、海を見に行った。砂浜の水たまりに大きなシタビラメがいたのを捕まえ帰った。やがて寄せてきた大波は堤防にぶつかり、水の塊が道路に飛び込んできた。東北などで多数の死者が出たチリ地震の津波だった。この時は飯岡の町に流れ込むことはなかった。宮久地との話もそこそこに、仲條は海岸の堤防上の自転車道を自宅へと急いだ。いつも散歩しているコースだった。途中、顔見知りの何人かが海を見ていて、写真を撮っている人もいた。沖には白波が姿を現していた。ただ、海岸線と平行に自分と同じで進んでいるように見えたので、「大変だよなあ」と短く言葉を交わす余裕がまだあった。
自宅まであと数十㍍という時、波が自分に向かってきた。堤防も越え始め、慌てて路地に入った途端、ひざ下ぐらいまでの水に捕まって倒された。尻餅をついた格好で、自転車に足が絡まったまま流された。この様子を、妻の利江(66)と長男の秀和(35)は自宅2階から偶然見ていた。「お父さん、何してるの!」「自転車なんかいいから、早く!」と叫んだ。次の瞬間、堤防で激しく水柱が上がり、大きな波が入ってきた。旭市に大きな被害をもたらした「第3波」だった。時刻は午後5時20分ごろ。市内では最大7.6㍍に達したと推定されている。最初の地震から2時間半が過ぎていた。仲條の姿はどこかに消えた。(福田祥史)

 

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る