5月13日 人生の贈りもの 役者 樹木希林「2」

朝日新聞2018年5月9日31面:面倒くさい映画 嫌だったけど がんになったのを契機に、テレビの仕事をやめ、映画だけをやらせてもらうことにしました。テレビはサイクルが早くて疲れるのよ。セリフをどんどん吐き出すだけで、まともに演技する暇がない。そういうのは散々やってきたから、オシマイにしよう、と。
≪一風変わった役柄でテレビの人気者だった樹木さん。映画に重心を移すや、出演作が内外で評価され、自身も演技賞を取りまくる。昭和の怪優は平成の名優になった≫ たまたま恵まれただけよ。仕事は、出演依頼が来た順番とギャラで選んでいるんだから。私、ずっとテレビだったでしょ、どの監督に才能があるのかも知らなかった。そもそも映画には良い印象を持っていなかったの。8歳の時、親に連れられて最初に見たのが「どっこい生きている」でね。
≪今井正監督による1951年の社会派映画。労働者の困窮をシリアスに描く≫ 映画館は混んでいて、床に新聞紙を敷いて見たけど、子供にはちっとも分からなかった。その後は「笛吹童子」みたいな分かりやすい時代劇ばかり見ていました。とにかく面倒くさい映画が嫌いでした。文学座に入った頃、杉村春子さんの付き人で、松竹大船撮影所にお供したことがあってね。小津安二郎監督の「秋刀魚の味」でした。杉村さんは中華そば屋の年増の娘役でした。ハンケチを四っに折って泣く場面を撮ってたんだけど、何度やっても小津さんは「もい1回」「はい、もう1回」とOKを出さないの。
小津組の現場は常にしんと静まりかえってました。緊張感が高まるのが伝わってきたけど、私には、なぜNGなのかが全く理解出来なかった。そもそも、前の演技と次に演技のどこが違うのかさえ分からない。おなかもすいてくるし、「早く終らないかな」というのが顔に出ていたわね。その後、小津さんは亡くなり、「秋刀魚の味」が最後の作品になりました。だから今考えると貴重な経験なんだけど、その時はただ「映画って嫌だなあ」と思っていました。
(聞き手 編集員・石飛び徳樹)

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